迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

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競馬を愛する語り部達・番外編その3:競馬実況に憧れたアイドル・大橋照子

本来であれば、競馬実況アナ、および経験者のみで構成されるこのシリーズ。あえて今回は変化球を使いましょうw 女性アナウンサーが、俗にいう“アイドル”化したその先駆けは、何と言っても彼女でしょう。かつて、アメリカ大使館前にあった日本自転車会館に、多くの若者が集い、バカ騒ぎを繰り返したという伝説は、ラジニケの歴史において燦然と輝く(?)名物w その話題に欠かせなかった存在こそ、今も長岡アナと一緒に“私の書いたポエム”に出演している“チェリーちゃん”こと大橋照子アナである。でも…彼女が本当に目指したのは、以前紹介した井口アナのような競馬実況アナだったことは、意外と知られていない。
山口県周南市で生を受け、東京で育った彼女。大学在学中にFM東京(現:TOKYO FM)で洋楽の番組を担当した経験があり、この事が、ラジオたんぱ…現在のラジニケに入社する決め手となった。その当時から、このラジオ局は“美女”が多い放送局として、関東ではメジャーだった…が、ぶっちゃけ、短波ラジオ局故の、そして当時ラジオ局のアナウンサー達が画像付きで紹介される機会がなかった事もあって、噂通りの“美女局”というのは、ごく一部の関係者以外、知る由もなかった。でも、彼女がラジニケに入社して、やってみたかった事は、実はスポーツ実況であり、特に競馬実況は、井口アナの存在が影響して、どうしてもやってみたかった…しかし、JRAの公式実況も請け負う事情を知らなかった事や、女性にとって、競馬の世界は放送業界以上に“男尊女卑”な環境である事を理由に、競馬班の上司達は、首を縦に振る事はなかった。もしも、先見の目がある幹部がいたなら、もっと早い段階で、中央競馬にも女性の“公式実況アナ”が誕生していたかもしれないが、当時の女性に対する認識が、鉄火場には分不相応と判断された事が大きい。まぁ…当時から可愛らしい風貌で、しかも、愛くるしい声の持ち主であるが故に、これがいざ、競馬実況に耐え得る声かと言われれば、些か考えさせられる部分がある。
そんな、ある意味打ちひしがれた彼女を、一番不憫に思ったのが、長岡アナである。せっかく、ルックスが良くで特徴がある声の持ち主を、なんとか別の方法で活かせないか…そこで、彼女の“我侭”に対して、ある程度までは許してやろうと考えた訳である。その一環として、あの伝説の番組“ヤロウどもメロウどもOh!”の中で繰り広げたラジオドラマ“アチャラカ王国物語”を作った訳である。(ちなみに、この一部が書籍化されたんだが、現在、とあるオークションサイトでは、様々なプレミアがついた影響で、滅茶苦茶高騰してるのよね…マジで。)今でも、当時のヤロメロリスナーが集う機会があり、交流が深い。でも、そのきっかけは、非常に思いがけないトコから始まるのであった。それは、他の番組中に彼女は、自分が週末にスタジオ勤務する事を告知し、その時に、一部のリスナーをスタジオに招いたのである。この時に、あのボロいビル…もとい、日本自転車会館に中高生のリスナーが集う様になり、中には、学校の長期休暇を利用して、遠路はるばる訪ねる猛者もいた。その影響力を見て、彼女を中心とした女性アナたちで構成する、若者向けの番組を作る事になる。そして、今では考えられない話だが、夕方の17時台に、中高生向けの番組として、ヤロメロが設定された訳である。そこで、現在でも使われている愛称“チェリーちゃん”が使われる様になる訳である。
そんな人気絶頂期に、彼女は商社マンの男性と結婚し、相手の都合でアメリカ・サンフランシスコへ5年ほど渡る事になる。結婚後、フリーになって、様々な場面で活躍するようになった矢先の話である。しかし…“私の書いたポエム”だけは、降板しなかった。他の番組に関しては、他の人に全て譲ったのに対し、この番組だけは、ラジニケとの繋がりを断ちたく無かったのか、月イチでテープに録音した声を送り、リスナーにエールを送り続けた。その時、彼女は、もっと“美しい日本語”を、アメリカ在住の邦人に教えるべきだと考え、行動を起こす。それは帰国後、現在のNPO法人「日本スピーチ・話し方協会」の活動に繋がるのです。

さて、ここから話は脱線するが、会員制ポッドキャスト番組である“ドキドキラジオ”でタマに共演してる直也アナは、実はT.Oプランニング所属…即ち、“チェリーちゃんの下僕”ですw ぶっちゃけ、番組内での無茶振りに、苦笑しながら付き合えるのは、直也アナから見て、相手が大先輩だからこその話。ま、その更に上の先輩が“アレ”ですから、断ろうとすれば何やらされるか堪ったモンじゃない事だけは察しが付くかと…w それと、泉タソがタマに、“ミュージックライフサンデー”で常連リスナーを、大阪支社スタジオに連れ込む(?!)のも、ある意味“前例”があるからこその話。そういえば、旧本社にあった“フリースタジオ”というエリアが設けられたのも、実は大橋アナのせい…いろんな意味で、ラジニケの“女王様”なのですw