迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

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競馬を愛する語り部達…vol.27 中京の重鎮・吉村功

正直、ネタ枯れ気味なのは致し方ないトコだが、それでも競馬に関する話をやめないのは、コアなファンがいる限り続ける事に意味があるから…否定するならいくらでも相手になりますよ。その時点で、オイラの“勝利”ですけどねw
とまぁ、一部のバカに対して喧嘩売ってどうすんだよなツカミは置いといて、今回は中京エリアの方々、お待たせしましたw 長年、東海テレビの競馬中継のみならず、あらゆるスポーツ中継で活躍し、現在も岐阜放送でレギュラー番組を持っている、吉村アナの話ですよ。まぁ、ぶっちゃけた話、近畿地方在住の競馬ファンにとって、杉本アナ以外のFNS系競馬実況アナに関しての印象は、とにかく“地味”で、且つ、馴染みが薄い。(しかも、いわゆる“裏開催”の時は、レース実況以外、殆ど映らないし…)まして、東日本エリアのアナウンサーは、東京以外は“OUT of 眼中”なモンだから、資料が全然ないのが実情w まして、中京開催と言えば、本当にこの人以外“アンタ誰?”状態w ま、競馬実況に関して、東海テレビを退役する晩年は、地元で相当叩かれてたようですが、そもそも論からして、この人以外の競馬実況アナが、本当に競馬実況が上手いのかと言えば、それは違う気がします…ではでは、本編に入りましょう。
西日本…特に“裏開催”と呼ばれる第三場として使われる事が多い中京と小倉ですが、今でこそ高松宮記念がスプリントGⅠとして、そして今年からダートのチャンピオンズカップが新設GⅠとして開催される事となり、ある意味阪神が“格下げ”っぽくなりつつある訳ですが、それ以前の中京と言えば、夏競馬の始まりと終わりを告げるイメージしかありませんでした。(個人的感想です、あくまで…w)そして、いつもそこには、吉村アナの姿がありました。実況スタイルからして、派手でゴテゴテのイメージが先行しやすいFNS系の実況アナが多い中、彼はどちらかと言えば、寧ろシンプルな方でした。ま、杉本アナで馴れると、どうしてもそういうイメージになる訳で…wでも、そこにはそれ故の“原点”があります。それは、彼自身がいわゆる“野球バカ”であるが故の哲学が、そこにあるからです。
東京出身で、事ある毎に父親と一緒に球場に行っては、野球観戦を楽しんでいた程で、だからこそ将来は、野球に関する仕事がしたいと願っていた。で、その願いは、名古屋の放送局が叶えてくれる事となる…そこで、中日ドラゴンズに入団したての星野仙一(現・東北楽天イーグルズ監督)と出会い、彼とともに、当時のナゴヤ球場でのホームゲームで、実況のあるべき姿を常に研究し続けていた。そこで得たのは、ファンと一緒に楽しむ野球中継にする事…これが吉村アナの実況スタイルの基本であり、その延長線上に、競馬実況がある訳である。だから、他の競馬実況アナがスピード感やレース展開の描写を肝としてたのに対し、どっちかと言えば“素人の競馬実況”といった感が否めなかった。しかし…本当に素人が実況してるのであれば、何もここで取り上げる必要もなければ、話題にする事もない。寧ろ、そのシンプルさこそが“聞きやすい”実況だったからこその“評価”であって、逆をいえば、派手なパフォーマンスを好むFNS系の実況アナのファンからすれば、派手さがない故の僻み…と考えるとスマートかと思う。それは、実況に関する概念の違いであり、テレビの場合、レース実況は“映像の補足”であり“描写よりも直感的な表現”が好ましいとされ、故にどうしてもデコレーション系の実況になりやすい。ラジオの場合は映像がない分、実況アナの描写ひとつな世界である。そこの違いを間違えて批判すれば、それこそ失礼にあたる。吉村アナが目指したのは、“テレビでもシンプルな実況”であって、それ故の苦心だからこそ、他の実況アナに比べてヘタレの様に聞こえるだけである。寧ろ、競馬が嫌いで実況を疎かにしてた訳ではないし、他のスポーツ実況…特にプロ野球との兼務もあった事を踏まえれば、どんなフジテレビの競馬実況アナよりも(ヘタすりゃ、KTVの連中よりも)上手いのは言うまでもない。だからこそ、東海テレビを退職した後も、岐阜放送でのスポーツ中継を中心に、実況アナとして、今でも現役で活動している訳である。
そして、忘れてはいけないのは、1996年に高松宮記念(当時は高松宮杯)が短距離GⅠに格上げされるまで、GⅠ実況の経験がなかった事…言い方を変えれば、裏開催の競馬場で実況するアナウンサーにとって、最高峰のレースを生で実況する事は“夢のまた夢”でしかなかったのに、JRAの改革によって、中京エリアに限って、それができる機会ができた…これが何を意味するか、想像してほしい。初めて中京で開催される、GⅠレースとなった高松宮杯を、他の誰よりも最初に実況する栄誉は、誰にも譲れない…その思いは、レース以上に並々ならぬモノだった。批判される事を恐れず、初めてのGⅠ実況に臨んだ時、既に定年の時が迫っていた。遅咲きながら、東京と大阪に集中してたGⅠ実況アナの、中京での第一人者として、その歴史を刻んだ瞬間だったのは、言うまでもない。

“おうまのracecallerふんせんき”の方でもチラっと書いたが、2年前の福島のイベントに参加しなかった理由は様々あるが、一番大きかったのは、中京競馬場でしか競馬実況の経験がない事が全てだと思う。本来なら、蜂谷アナよりも吉村アナが登場する事によって、FNS系の実況アナによる競演という絵面も面白いと思うのだが、それ以上に“地元LOVE”なトコがあって、恐らく、ヲタナベ局次長からの誘いを断ったのではないかと推測される。でも、自分より若い世代の実況アナを邪魔したくないからこそ、競馬実況から身を引いた。しかし、名古屋を中心とする東海エリアの競馬ファンや関係者からの人望が厚く、今でも競馬記者クラブの会友として、名前が残ってるのです。