迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

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競馬を愛する語り部達…vol.25 幸せ向かって、踏み切ってジャンプ!!・山本直也

さぁ、オリジナル第6弾は、ジャンプレースのファンの皆様、お待たせしましたw ジャンプレース実況と言えば、真っ先に名前が挙がるとしたら、この人しかいませんよね。加古川が生んだ、もう一人の“競馬実況の達人”山本直也アナです。宝塚記念にラジニケがオリジナルグッズの先行発売を行ったところ、予想に反して(?)“踏み切ってジャンプ”ラニィバージョンTシャツが“完売”したという程、只今人気沸騰中の実況アナといっていいでしょうw ただ、本来なら彼は、ラジニケの“社員”ではありません。正確に言えば競馬実況に関する契約を行っている、フリーランスです。とはいえ、元々はラジニケ…と言うより、ラジオたんぱの社員としてデビューし、後に様々な事情があって、現在の様な状況になった訳です。ま、そのきっかけが菫華の君である事だけはアレなんだけど…ともかく、馬券上手な独身貴族の、その横顔に迫ってみましょう。
ラジニケの大阪支社スタッフは、原則として関西出身者が“常駐”という形式を取っている。せんとくん…もとい、檜川アナも御他聞に漏れず、彼自身も生まれこそ東京だが、本籍としての出身となると、兵庫県(確か西宮市)になる。当然ながら、直也アナ自身も本来なら、3年間の修業の後、大阪支社常駐スタッフとして、籍を置く事になっていた…が、これを“阻害”したのが今は亡き広瀬アナであり、彼が大阪支社常駐を志願してなければ、小林雅己アナとの“交替要員”として東京本社へバシルーラする事はなかった…檜川アナが大阪支社に赴任し、常駐として残るまでに9年掛かった事を考えると、如何に広瀬アナが“罪作り”な事をしたのか、ちょっとは理解できるかと思う。実際、オイラも小林アナが赴任してきた時に、出身からして直也アナが残って広瀬アナが東京に戻ると思ってたのに、全く真逆な事になったのを見て、不思議で仕方なかったのだが、今にして思うと、この“運命のイタズラ”が、後々直也アナの人生そのものを面白い方向へと導く結果となる訳で…
東京本社籍になって、いろんな雑用をしてる際に、競馬ブームがひとつの頂点を迎える事になる訳だが、この時にゲーム業界でも競馬を題材にした家庭用、あるいはアーケード用ゲームの開発が行われてきた。もちろん、その先駆けとなったのは、薗部博之がプロデュースした“ダービースタリオン”シリーズで、今でも“競走馬育成ゲーム”の元祖として名高い事は、古くからパソコンを扱ってる者ならご存知の通り。(しかも、今年のクリスマス商戦に、3DSソフトとして最新作が出る予定…)しかし、いわゆる“スポーツシミュレーションゲーム”のソフトは、大概の場合、実況音声がないため、これをどうにか臨場感あるヤツにしようと、殆どのゲームソフト会社が躍起になっていた。コナミの場合は、本社が神戸という事もあって、初期の頃の“実況パワフルプロ野球”の実況音源は、ABCの安部憲幸アナに依頼してた訳で、これが後に、他のゲームソフト会社が、スポーツ実況アナに無理を言うケースを増やすきっかけとなる。(で、某ゲームソフトが杉本アナに、アーケード用競馬ゲームの実況をやらせる訳で…w)で、バンダイナムコになる以前のナムコは、ラジニケとの長年の付き合いから、同じ様な競馬ゲーム用の実況音源を依頼する事にした訳だが、当時、白川アナや永島啓司アナに依頼したくても、当の本人らが“本業”に専念したいあまりに、なかなか許諾を得られないでいた訳である。しかし、本社勤務組の競馬実況アナは当時、大阪支社よりも競馬に集中して仕事するには、あまりにも人員過多なトコがあって、正直、中堅どころがいろんな意味で暇を持て余していた。そこで、比較的発音がしっかりしてて、尚かつ実況がオーソドックスなスタイルに近かった直也アナに白羽の矢が立った訳である。そして、騎乗体験型競馬ゲームとして“ファイナルハロン”というアーケードゲームで、その実況音声を担当する事になる。(ちなみに、家庭用ゲーム器用ソフトに、よしだみほのマンガ“馬なり1ハロン劇場”をモチーフにした競走馬育成ゲームがあったんだが、これの実況も、実は直也アナがやってたって、知ってた?)
そんな訳で、競馬場で実況するよりも、スタジオに籠ってゲームの“疑似実況”ばっかりやってる事がちょっと不満だったのか、あるいは、そっちの方が収入として美味しかったのか、それは定かではないが、40歳を前にして、ラジニケを退社する事に…しかし、いろんな意味で不遇過ぎる直也アナに対して、ラジニケはひとつの条件を呑む事で、競馬実況に関する契約を結ぶ事になる。そう、平地GⅠの実況は、原則担当から外す代わりに、他の在籍実況アナと同等の条件で担当を付けるモノだった。故に主な実況が重賞競走よりも一般競走に重点が置かれる代わりに、東西関係なしで動ける立場へとなった訳である。そしてそれは後々、障害競走…ジャンプレースでの実況の機会が増える一因となる。というのも、中央競馬のレースは大概、昼休み前に障害戦が組まれる事が多く、しかも他場と重複して開催されるケースは稀であり、最低でも2000m以上のレースであるが故に、普通に実況してるとダレてくる。(特に短距離を得手とする実況アナは、途中でバテてくる…)しかし、長丁場になればなる程集中力が増す、関西の競馬実況アナにありがちな“スタミナ重視”タイプの実況だった事が相まって、障害競走の度に、妙な盛り上がり方をする様になった訳である。
この“踏み切ってジャンプ”という言い回しこそ、彼が競馬実況において一番苦労した部分と言って良い…馬術競技において障害競技では、飛越という言葉を使う。当然、競馬も馬術のひとつであり、本来であれば、障害物の上を通過するなら“飛越”と言った方が正しい訳だが、ラジオで実況を聞くと、馬術に疎い競馬ファンには意味が通じない。もちろん、先輩である北野アナや藤田アナも、この表現に苦労したクチで、彼等ですらコース上の障害物を通過するタイミングを実況するのに、“踏み切って飛越”とか、“通過”という表現を使ってたと、オイラは記憶してる…そこを敢えて“ジャンプ”と表現した訳である。これが、若い競馬ファンに大いに受け、いつしかこれが、直也アナの“代名詞”へとなっていった訳である。当然だが、直也アナは加古川出身なんで、その発音は播州弁のイントネーションであり、他のアナ達がいくら真似ようと思っても、独特の抑揚が旨く再現できる訳がない。(やるとなれば、それこそ、普段から播州弁で喋ってる人でないと…w)この、独特の言い回しは、数多くの障害競走を実況し続けたからこその、卓越した技術と言って良いだろう。

ラジニケのアナウンサーは、いろんな意味で映像メディアに登場する機会は少ない。最近でこそ、BS11での仕事も請け負う様になった影響で、一部のアナウンサーがテレビカメラの前で喋る姿を見る事が増えたが、直也アナはどちらかといえば“イケメン”という訳ではない。(むしろ舩山陽司アナや小塚歩アナの方が“ビジュアル担当”って感じだがw)しかし、とても純朴そうな表情は、とても競馬実況をやってるアナウンサーには見えない。とはいえ、こう見えても実は、木和田篤アナや檜川アナとは同い年で、しかも未だに独身である。毒女の為に言っておくが、顔に似合わず“馬券上手”で、年に数回7桁配当の馬券を当てる事がある、意外と“お金に困らない”タイプのギャンブラーである。でもって、かなり鉄分多め…ま、それ故の“独身貴族”なのかもしれませんがw