迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

公営ギャンブルが廃止になる背景…その2

以前(http://ch.nicovideo.jp/strayhorse_caller/blomaga/ar452159)、産業の衰退から公営ギャンブルが真っ先に“リストラ”を喰らいやすい事を書いたが、今回は、もっと政治色の強いお話。根本的に、公営ギャンブルに対する“社会悪”のイメージを植え付けたのは、いうまでもなく共産・社民系市民団体であり、それを煽りまくったのは、そっち系に属するマスメディアである。しかし、ご存知の通り、マスメディア…特に大手新聞5社は、JRAの重賞競走にいずれも冠名を有するレースがあり、系列のスポーツ紙も、重賞や特別戦に協賛金を拠出している。当然だが、地方競馬でもスポンサー料を支払っている報道機関がある訳だが、よく見ると、ある傾向があるのにお気付きだろうか?そう、これも以前(http://ch.nicovideo.jp/strayhorse_caller/blomaga/ar373099)にちょっとだけ解説したが、実は公営ギャンブルに対して肯定的なのは、読売新聞社系と産經新聞社系で、朝日新聞社系と毎日新聞社系は、どっちかと言えば消極的である。特に、読売新聞社系企業は、南関東を中心に、様々な公営ギャンブルの企業協賛を行ってるだけでなく、施設の運営もやっている。一番わかりやすいのは、川崎競馬場船橋競馬場で、どちらも系列会社である読売ランド所有の施設であり、売店の運営も、実質はそこが請け負っている。ま、遊園地やゴルフ場経営の延長線上に鉄火場の設備管理を請け負ってると考えると、スマートな考えかもしれないが…(とりあえず証拠→http://www.yomiuriland.co.jp/company/facilities.html)

ここからが今回の話の核と言える部分だが、ここんトコ、競輪が騒々しい状況になっているのはご存知だろうか?一部の有力選手が、新しい団体を立ち上げようとして、大本営とも言える日本競輪選手会が、待ったを掛けた挙げ句、関与した選手全員に1年の出場停止等の懲罰処分を行った。しかし、事の発端は競輪界そのものの改革に対して、ファンは支持してるのに、それにいちゃもんを付けたのは、件の選手会である。ま、オイラは競輪に詳しくないが、双方の言い分を考えると、これで“誰得”な結果なのかと言えば、公営ギャンブルを一刻も廃止したい自治体であり、それに賛同している、ごく僅かな市民団体である。そう、競輪界は既に、自らを“時代遅れな存在”と認めた上で、消滅する事を望んでる様なモノである。これでは、競輪を本当に知ってもらおうと、必死に世界を走り回った中野浩一神山雄一郎等、かつてのトップレーサー達の苦労は、水の泡と化す事になる。
殆どの公営ギャンブルの場合、必要最低限度の運営費を、主催自治体から助成を受けながらやってる訳であり、また、その売上の殆どは、宝くじ同様に、主催自治体の収益として計上される仕組みである。中央競馬に至っては、売上からの控除額の内、8割は国庫への歳入として計上される為、一般会計として計上される様々な予算の内、主に防衛費や交通インフラ整備、および農林水産業助成金として使われる。つまり、鳥インフルエンザ対策費から、10式戦車やアパッチロングボウの購入・開発費まで、実は税金と国債で賄いきれない部分を、JRAが負担してると言って良い訳である。もちろん、これは競馬法に基づいて、競馬の開催条件として日本の畜産振興と、税収の補填を行う事が含まれているからこそであり、同じ理由をもって、各自治体がそれぞれの事情に合わせた公営ギャンブルを開催してる訳である。ここんトコを知らずに、単純に“ギャンブル=社会悪”に仕立てるからおかしくなる訳であり、正直に言えば、庶民の娯楽を奪っておきながら、地域の為に社会奉仕しろという乱暴な言い方をしてたら、そらニートだけじゃなく富裕層も逃げでしますわw しかし、それを声高に叫んできたのが、共産系市民団体であり、ぶっちゃけ論で言えば、公共施設の利用促進を阻害してるのは、実は情報弱者な庶民だという事になる。では、何で共産系は公営ギャンブルを嫌うのか?そのもっともな“理由”は、暴力団等の裏社会系によるレジャー産業に対する不信感であり、それを利用するファンのマナーレスが、社会を乱す一番の要因だという事だが…そもそも、社会に対する抗議デモも、結局は彼等が言う“社会を乱す”行為に変わりないのに、それは自分達の都合で無視してる訳である。正直に言えば、どんなに社会構造が変化しても、庶民の基礎的な生活は、何らひとつ変化しない。金銭的に貧しくても、身体や精神にハンデがあったとしても…自分がやるべき役目をキチンと果たしてる限り、誰であっても幸せな生活を送る権利はある。が、それを阻害して自分の権利のみを主張して、何の価値がある?そういった事を考えず、ただ単に“ギャンブルは悪だ”と決めつけて、その収益によって自治体が運営する公園や図書館等が管理、維持されている事を知らずに廃止を求めれば、必ずそれは、地方税の増額として跳ね返ってくる。もっと言えば、その為のファン拡大を狙って行動を起こした者を、一方的、あるいは人身御供として処分したのであれば、それはライトユーザーのみならず、古参のヘビーユーザーをも獲り逃がす事になる。JRAの改革とて、本筋はあくまでファン拡大と、競馬を通じて畜産振興への理解を求める事であり、その延長線上に収益がどの様に使われ、ファンのみならず一般市民にどう還元されているか、それをキチンと説明する義務がある。自衛隊もまた然りで、単に防衛費といえど、それが何故必要なのかを、誰にでもわかる様に解説できる感覚が不可欠である。そこを無視して、庶民をコケにする様な態度を取れば、それ故に情弱を突いた騒動が勃発してもおかしくない。Jリーグで問題となっている、スタンドでの“差別表現”も、要は、それ故の話。常識を弁えずに、本当に困ってる人に対して、更に暴力を振るうバカがいる限り、社会は勝手に荒んでしまう事になる。それを選んだのは、いうまでもなく、訳もわからぬままに“正義”と唱える人達であり、富裕層を僻む荒んだ精神である。富裕層が気持ち良く、その身銭を庶民に振りまくには、それに似合った価値ある社会貢献を促すのがスジであって、その為の協力を、庶民もまた、惜しんではならない。そこを否定した時点で苦しむのは、将来を担うハズの若年層であり、子供達である。