迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

日本の馬事文化…呪術としての競馬(くらべうま)

今回は競馬実況に関する話から離れて、社殿仏閣で執り行なわれる催事に、なんで馬が絡むのかという話。日本が農耕民族であり、また、馬を使役に用いた歴史をある程度学んでいるなら、すぐにわかる話だが、そこの部分をすっぽかして競馬を愚弄してる様では、日本の農業を語る事は、やってはいけない事である。もっとも、馬事文化そのものは西日本…特に畿内(近畿地方)では馬より牛の文化だったりするんだが…w
そもそも、西洋競馬…“Horse Race”を“けいば”と日本語で訳した時に、それに該当する漢字として、“競馬”を用いている訳だが、そもそも、これは“くらべうま”と読むのが本来の意味であり、日本の“くらべうま”とは、諸外国の競馬…乗馬の延長線として行うレース形態とは、まったく異質のモノである。というのも、一見すると直線2ハロン(およそ400m)の電撃戦の様な形態で、境内で二頭の馬を使ってやるんだけど、決まり事として、右側が先行、左側が後行という形式で走る…これは、一種の雨乞い神事であり、五穀豊穣と厄災避けを祈願して執り行なうからである。また、貴船神社に奉られている馬にも意味があり、白馬は晴天、蒼馬(実際は黒馬)は雨天を意味する。即ち、白馬が先行する様に仕組めば、好天に恵まれ、蒼馬が先行すれば、水に困らない事を意味してた訳である。しかし…厄介なのは栗毛の場合。これが先行する年は、あらゆる厄災…特に内乱が頻発する事を意味してたという。だから、催事の前に選考会をやる訳で、これで本番に出走する白馬と蒼馬を選び、栗毛を出走させない様にしてた…らしい。とはいえ、実際にはその年によって白馬や蒼馬がまったくいなくて、栗毛と鹿毛だけで行わないといけなかった事もある訳だが…
神社に奉納される馬に芦毛、あるいは白毛が珍重されるのも、実は呪術的なモノであり、白馬に限らず、日本人は“白”に特別な敬意を払う。(春日大社の“白鹿”とか、岩国の“白蛇”とか…)それはともかく、白馬を“神馬(しんめ)”として繋養するのは、その馬体に神が宿るとされるからであり、また、太陽崇拝の名残で、“白=陽光”というイメージから、伊勢神宮でも好まれる訳なのです。(ちなみに、伊勢神宮の神馬は、皇室から御料牧場育てたアングロアラブ。内外合わせて四頭繋養されている。)
つまり、本来の“競馬(くらべうま)”は、現行のレースと異なり、勝敗よりも天候不順等の災いを避ける為の呪術的な意味合いがあり、あくまで神事のひとつとして執り行なわれてきたトコがあります。ぶっちゃけ、


↑これのノリですw