迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

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イトマン事件とKBS京都の苦悩

タイトルを見て、何の話をするか、予測がついた人は、相当な情報通ですw これは、地方の独立系放送局故の苦悩であり、現在の地上波テレビでの競馬中継が、どうしてBS11経由のサイマル放送へ移管したかを知る為に、知っておかなければならない話です。とはいえ、KBS京都に関する歴史の話に関しては、該当する競馬実況アナの話をする際にやるとして、今回は、バブル景気崩壊の引き金となった、いわゆる“イトマン事件”と、その渦中で、最悪の事態に陥ったKBS京都の存廃問題について、オイラの独断と偏見的な感覚で解説しておこうと思う。

まず、イトマン事件をざっくりと説明すると、大阪にあった大手商社のイトマンの、当時の経営陣が投資に失敗し、その穴埋めをする為に、巨額の粉飾決済を行い、株式市場を混乱させた事により、そこと関係のあった銀行や証券会社の資金まで焦げ付いた…この事によって、イトマンは経営破綻した。で、のちに住友グループ(住金商事)に吸収され、会社そのもの消滅した…んだが、なんでKBS京都がこの事件に巻き込まれたかと言えば、当時のKBS京都の経営に、イトマンの経営陣の一人が関与してたからである。

そもそも、KBS京都が独立系ラ・テ兼営放送局になったかと言えば、その始まりは、KTV開局に纏わるドタバタがあって、CRKとの合弁会社を立ち上げ、のちに阪急電鉄産經新聞社が資金と情報提供で合意し、共同運営する…ハズだったんだが、産經新聞社に半ば弾かれる格好で、KBS京都CRKとの合弁会社のネーム(近畿テレビという名称)以外、テレビ局としての恩恵を受けられなかった訳である。そこで、単独でのテレビ放送免許の取得を急いだ訳で、UHF波による、地域限定のテレビ局として認められて以降、ラ・テ兼営になった訳である。ちなみに、KTVCRKは、当初の予定では合併するハズだったんだが、これまた、産經新聞社と読売新聞社での諍いに巻き込まれ計画が破綻し、産經新聞社は独自のラジオ局として、OBCラジオ大阪を開局するハメになる訳である。

問題の核心をいえば、KBS京都の“親会社”である京都新聞社の創業者一族がやらかした不動産投資の失敗に伴う負債が発覚した事から、その返済処理の為に切った約束手形が、闇金融…つまり、反社会組織の方に流れた為、それを取り返す為に、当時のメインバンクだった京都信用金庫の顧問と、その知り合いで、こういう事に関して顔が利く許永中が暗躍した訳である。つまり、この許永中と創業者一族、そして京都信金の顧問が、資金回収の為にやった事が、後々、とんでもない事になる訳で、そこへダイエー傘下のノンバンクが、KBS京都の建物と土地に根抵当権を設定していたのである。要するに、この事件が発覚してなければ、ダイエーがイオン傘下のスーパーに落魄(おちぶ)れる事もなかっただろうし、京都新聞社の創業者一族が欲ボケしていなかったら、そもそも、こんなトラブルに巻き込まれる事もなかった訳である。

もっと言えば、結局はKBS京都の経営陣がやらかした、不動産投資などの取引での失敗が、総合商社で歴史あるイトマンの終焉を招いたともいえる訳であり、地方局でありながら、無茶苦茶な経営が祟って、反社会組織に“喰われた”事で、放送局としてはあり得ない“会社更生法”の適用を申請し、事実上の倒産に至った訳である。ただ…総務省が放送免許の取消を行わなかったのは、地元の視聴者やKBS京都に関わったタレント、そして地元企業が存続の為に動いた事により、経営再建を行う一環として、放送事業を続ける事を認めた訳である。

このゴタゴタで、一番痛い目に遭ったのは、いうまでもなく放送スタッフであり、経営悪化による給与未払いが頻発した事もあり、一部のスタッフが逃げ出す様に退職していった訳である。当然、アナウンサーも例外でなく、後日紹介する濱野圭司アナと寺西裕一アナは、コレが因でフリーに転向した訳である。そして、一度は双眼鏡を置いた久保房郎アナが現役復帰し、逆に宮本英樹アナが双眼鏡を置かざる得なくなる訳である。