迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

やっぱりラジオが好きw

本来なら、本家の方でやるべきネタではあるが、今回は意外と知られていない、放送業界人で、特に声を仕事にする人に多い傾向についてw
競馬実況アナだけでなく、テレビだろうがラジオだろうが、アナウンサーは、総じて“ラジオ好き”が多い。特に45歳以上のベテラン級は、家庭の娯楽として、また、受験勉強のお供として、深夜ラジオを聴いて育った世代でもある為、結構ラジオの話になると、所属局がテレビ単営でも喰いついてくるw では、そんな彼等にとって、ラジオの“魅力”とは何か?
オイラも中学生時代は、結構ラジオを聴いていたクチであり、恥ずかしながら、“ABCヤングリクエスト”や、全日帯放送をやってた時代の“MBSヤングタウン”を知ってる世代であるw 当時の番組名を挙げるとキリがないが、80年代末までのラジオは、言ってみれば“テレビデビュー前の登竜門”的なノリがあり、また、テレビで活躍する殆どの人が、いろいろとラジオのレギュラーを持ってたりする訳である。しかし、最近のラジオは、テレビで一世を風靡した者が、定年やフリー化を期にラジオに出る事が増え、本来、ラジオで仕事してるハズの声だけのタレントが、その行き場をなくしている。
しかし、なんでラジオ好きなテレビマンが多いかと言えば、テレビの黎明期、その殆どが放送のイロハを習うデバイスそのものがなかった事が影響している。したがって、アナウンサーも、その研修先はラジオ局ってのもザラで、本家でも一時期やってた“我等ラジ関ジェネレーション”企画でも紹介した通り、民営テレビ局の開局に、先行して開局した民営ラジオ局が深く関わった事によって、その関係式がややこしい歴史を辿った経緯がある。まして、ABCとMBSは、今でこそラ・テ兼営局ではあるが、そこへ至るまでに、それこそ七転八倒した歴史がある。そして、その影響で、KTVCRKが“提携解消”という憂き目に遭ったのは、本家のシリーズの通りである。それともうひとつ…70年代は若者向けのラジオ番組が充実して来た頃であり、多くの中高生が、挙ってラジオにリクエストメール…と言っても、今みたいにSNSなんてなかった頃なんで、当然、はがきによる投稿がメインだが、それを、ラジオ局に送りつけて、番組担当のタレントやアナウンサーに、時に進路相談や恋愛、友達との人間関係等、赤裸々な話を、自分が聞きたい音楽のリクエストを添えて、何度も投稿し続けた訳である。そんな経験を持つ若者が、そこから憧れをその当時のラジオパーソナリティーに投影し、そして、目指した先にアナウンサーという道を見出した者が多いモンだから、必然的に、ラジオに対する親近感が湧くのである。故に、ラジオ好きのアナウンサーの中には、地元のラジオ局のパーソナリティーだけでなく、手持ちのラジオ受信機の感度の限界を試す様に遠距離受信にハマり、そこから大阪や東京のラジオパーソナリティーに尊敬の念を抱く様になった者もいる訳である。
長距離受信という意味では、今でもCRKの“青春ラジメニア”リスナーの中には、関東以東からの遠距離受信者がいる。脱線ついでに解説すると、このラジオ番組は、深夜放送時代からアニソン専門の番組として80年代から存在する、結構ご長寿な番組で、パーソナリティー岩崎和夫アナは、番組スタート時…というか、この番組の前身である“アニメ玉手箱”時代から、ずっと“アニソン一筋”で番組を切盛りしている、アニヲタの元祖ともいうべき存在である。それ故に、現在の様にアニラジ系コンテンツがラジオに溢れる様になって以降も、多くのアニヲタから支持される存在なのである。(言ってみれば、ラジニケの“アニソンポッド”の原形となっている番組ですw)
逆に言えば、ベテラン勢がラジオに行きたがるもうひとつの理由が、テレビは映像がある分、表現に“制限”が掛かるのです。つまり、余計な事を喋れない代わりに、映像が全部説明するモンだから、いわゆる“アナウンサーの本分”という根幹的な部分での迷いが、貯まりに溜まった結果が、ラジオという“聴覚だけの媒体”で活路を見出そうとする訳です。故に、テレビ単営局で、あるいは、ラ・テ兼営でもメインがテレビだった人がフリーになってラジオをやると、好き勝手喋る反面、そのラジオ特有の間合いに戸惑い、克服するまでに時間が掛かる人も多いのです。