迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

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競馬を愛する語り部達…vol.18:桜吹雪に似合うチョコレートヴォイス・藤田直樹

本年最初の紹介は、やっと“なにわの三本柱”揃い踏みとなります。そうです、藤田アナのネタですw 本家では9年前の2005年11月に取り上げた(http://d.hatena.ne.jp/strayhorse/20051116/1132137666)のだが、その後、逆流性食道炎からの喉頭炎が因で声を嗄らしてしまい、現役復帰する事無く、この4月末(2014年2月3日修正)で完全退役する事になる…ま、それ故に、佐藤アナが大阪支社へ異勤となった訳で。そのへんもひっくるめた、藤田アナに纏わる話をやっていこうかと思う。ちなみに、白川アナのネタでも書いたが、藤田アナと白川アナは親戚同士で、共通の親戚として山岳写真家の白川義員氏がいる。

入社当時、ラジオNIKKEI…いや、当時は“ラジオたんぱ”だった訳だが、スポーツ中継の撤退が相次ぎ、大阪支社での業務も、北浜にある大阪証券取引所の市況中継と、西日本での競馬中継以外は、殆ど行っていない様な状態だった。(ま、元々…そっちがメインであって、他の業務は東京本社の胸算用なトコがあるんだがw)だから、競馬中継以外のスポーツ実況をやりたくてもできなかった事が、入社後、相当なショックだったという。しかし、当時は北野アナも入社して2年が経過したぐらいで、丁度白川アナも大阪支社に転属してきたトコだった事もあり、この二人にくっついて、お互いの実況に関する技能を磨き合っていた。だららこそ、二人に比べてスピード感と細かい描写を得手とする実況を信条に、やっていったのである。この事がのちに、“菊の北野、桜の藤田”という役割分担ができる様になる訳である。(のちに、今は亡き広瀬アナが加わって“菫の広瀬”となるんだが…)そのいわれの所以は、牝馬クラシックの桜花賞での実況回数の多さで、過去40年間の桜花賞のうち、その半数が藤田アナの担当だったりする訳である。もっとも、現在はせんとくん…もとい、檜川アナがその役目を引き継いだ関係で、2002年以降は、殆どが檜川アナの担当になってる訳だが。
現役時の低音でスピード感ある甘い声は、まさに、スプリント・マイル戦ではその威力を発揮し、特にマイル戦の実況は“全場無双”状態で、しかも現行に改装される以前の阪神競馬場だとアルティメット状態…距離やコース、天候に左右されない安定感がウリだった。それが一番わかりやすかったのは、東京で初めてのGⅠ実況となった安田記念であり、また、エイシンプレストンが勝った香港マイルでの実況である。しかし…本当の価値観を話すのであれば、むしろ実況をしていない時のフォロー役としての安定感であろう。それは、西日本での主場で実況するアナ達にとって、その背中を安心して預けられる正確さと、タイミングよく、的確に指示を出す事で、殆どのアナ達が慌てずに実況できるという環境を生み出している。言ってみれば、実況アナとして実務ができなくなった今日でも、嘱託職員として残る事ができた最大の理由がコレであり、逆に言えば、その役目をこの4月付けで引退する事になっているからこそ、佐藤アナを招聘する事になったと考えるのがスジであろう。
さて、もうひとつ触れておかないといけない項目と言えば…“三本柱完全崩壊”のきっかけとなっている東京本社への異勤だが、そもそもは当時チーフだった白川アナの跡目を継いで、北野アナと分担して、ラジニケの競馬中継を支える事が主眼にあり、また、竹川アナの大阪での研修を行うには、広瀬アナか檜川アナが東京本社へ戻らないと、大阪支社の“定員過剰”となる事もあり、そして北野アナと藤田アナに共通する問題…大阪支社常駐を条件に入社してる“関西専用機”な扱いであった事が、話をややこしくさせたのである。ま…その事については他の枠で散々書いたんで省略するが、2002年の小倉開催をもって、大阪支社へ戻った訳である。
その後、北野アナが定年を待たずに退職すると、名実共に西日本でのチーフとして活躍が約束されていたのだが、その矢先に、異変が起きた…ディープインパクトの三冠達成と引き換えに…否、その以前からその持ち前の“チョコレートヴォイス”が徐々に嗄れてきたのである。そして、年末に入ると、その声は完全に痛々しい状態になっていた。折角、某缶コーヒーのCMに採用されたり、いろいろと注目される様になってきたのに、そのファンの期待に応えられない状態へ陥ったのである。医療機関で検査を受け、下された診断は喉頭炎…当の本人は、いつか復帰できるだろうと考えていたが、その想いは、ついに叶わぬままとなった。もっと心苦しかったのは、広瀬アナの件であり、それ故に一番辛い思いをした事は、ファンであるなら理解して欲しい。

去年の凱旋門賞で、蜂谷アナをゲストに迎えた件で、以前の話でも書いたんだが、実は、その交渉の窓口になったのは、藤田アナ自身である。というのも、実はこの二人、関西の競馬ファンなら知る人ぞ知る大の仲良しで、一緒につるむとどっかの釣り場で竿を並べる程の“釣りバカ”であるw 競馬実況アナになったきっかけも、結構よく似た理由だった事もあり、競馬場からの帰り等で一緒にいる事が多かった。恐らく今後、栗東トレセンでのGⅠ調教公開でのナビ役を、交互でやるのではと予測されるw