迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

小説のようなモノ…ティルタニア騎士団物語  第7話。

“ー今すぐ、5000万、用意しろ!! 息子がどうなってもいいのか?”

怒号にも似た声が、遠くから聞こえる。どこに電話をかけてるのか、よくわからない…暗い何処かの倉庫の様な所の、さらに奥に据えられた、大型犬用のゲージに閉じ込められて、どれくらい時間が経ったのだろう。それまで“彼”は、高校受験のために親元を離れ、志望校の近所だという親族の自宅を訪ねたところ、急に何者かに腹部を殴られ、気が付けば全裸にされた挙句、手枷と首輪を付けられ、このゲージに閉じ込められていた。そして、満足な食事も与えられず、排泄もままならない場所で、時には理不尽な言いがかりをつけられ、その度に暴行を受けた。なんでこんな目に遭わなければならないのか、理由がわからなかった。そして…

「可哀想にな…お前の両親は、お前を見捨てて、とうとう逃げたようだな。まぁ、いい。既に次の手立ては打ってあるし、“金の卵”が産めない雌鶏に用はない…お前達、これの“処分”任せるわ。」

何を言ってるのか、訳もわからぬまま2、3人の男性に腕を掴まれ、その後、凄まじい痛みが身体中に走った…

「や…やめろ!!」

そう叫んだ時、目が覚めた。そこにはあの悪夢の様な空間ではなく、リハビリを受けていた部屋の片隅に置いてある、休息用のマットレスの上だった。全身に嫌な汗が流れているのを感じた。

「…夢…な…のか?」

肩で息をしながら、さっきのがなんなのか考えた。

「Jボーイ、大丈夫か?かなりうなされてたけど、何か思い出したのか?」

そばにいたディオンが声をかけると、少し項垂れて呟いた。

「…ぼ……は…め………り…なん…じゃ…い…」

何が言いたいのか、ディオンは、はっきりと聞き取れなかったが、相当酷いモノを見た事だけは、なんとなく察しがついた。

「今日はもう、このまま休もう。相当汗をかいているから、着替え、持ってくるね。」

そう言って、ディオンがそばを離れようとすると、Jボーイは袖を握って離さなかった。

「お、おい?!」

「…怖い…嫌…だ…一人に…しない…で。」

そのか細い手は、何かに怯えるように震えていた。その様子を見て、

「俺が代わりに取ってくるよ。根岸、Jのそば、離れるなよ…おそらく、記憶の一部がフラッシュバックしたんだ。」

「星野さん、まさか…」

「ともかく、タオルで全身を拭いてやれ。あと、そこにスポドリあるから、それ、飲ませとけよ。ただでさえ、脱水と欠食でフラフラなJだからな。精神まで参ってる以上、無理をさせると厄介だぞ。」

ナージュはディオンにそう指示を出すと、そそくさと部屋を出た。ディオンは指示された通りに大判のスポーツタオルでJボーイの体を拭いてやった。

「…ごめ…余計……惑…かけ…」

どうやら、ディオンに余計な心配をかけた事を、詫びたかった様である。

「ボクは大丈夫だよ。それより、ホラ…ちゃんと飲まないと、また倒れるよ。なんで水を飲みたがらないのかわからないけど、ちゃんと摂らないと…」

「味…無いの…いらない…」

“これって、ひょっとして…ここに来るまで、水しか与えられなかったのか?”

「今日のは、ヨーグルト味だよ。ちょっと酸味があるけど、イケるよね?」

「…うん。」

ディオンに促され、特製の経口補水液の入ったボトルに付けられたチューブを口に咥えると、少しずつ飲み始めた。どうやら、彼が受けた虐待の影響なのか、普通のスポドリや水を飲もうとしない。そこで、フルーツジュースや紅茶などで味を付けたモノを作り、それを適時に与える様にしたのである。

 

一方、

「フラッシュバックか…しかし、仮にそうだとしても、なんで急にそんな状態になったんだ?」

ナージュが件の一部始終を話すと、ビスタはJボーイの治療経過のレポートを見ながら首をかしげた。

「恐らく、ディオンが常にそばにいて、精神的に落ち着いてきたからこそ、記憶を封じてた箍が外れたんだろう。」

「だとすれば、しばらくディオンは農園の業務を外さざる得ないか…キミに対しては、未だに警戒心がある様だし、かと言って、他の連中は自分の業務以外の仕事は、あんまり引き受けないクチだからなぁ。」

「特にこの時期は、加工品製造よりも作物管理が難しいからな。ディオンはアグリだから、こういうことは全て任せられるんだが…アイツの看病に付きっきりだと、負担が大きすぎる。そのことを、アイツはアイツなりに感じてるから焦ってるんだろう。」

「頭の中の記憶がなくても、身体に染み付いた性格めいた部分が、そうさせてるのかもしれんな…ってことは、元々、責任感の強い性格だったのかもしれんな。」

二人がJボーイの件で話し込んでいると、急にナージュのスマホが外部からの着信を受けた。

「はい、星野です…」

『あ、初めまして、私は…』

着信番号を確認したところ、どうやら管轄外の警察からの電話だった。しかし…

『実は、とある事件の捜査線上に、そちらで保護された方に関する情報がありまして、捜査の協力を願いたく、お電話をおかけしたのですが…よろしかったでしょうか?』

「つまり、なんらかの事件に巻き込まれ、行方不明者の一人に、件の者が浮上したという事ですか?」

『はい…詳しい事をお聞きするために、そちらに捜査官を送りたいのですが…』

電話先の警官の問いに対し、ナージュとビスタは、互いに目配せする様に合図を送った。

“ビスタ、捜査に協力すべきか?”

“もちろんだ…ディオンとカルタスにも、連絡を入れた方が良いだろう”

「わかりました…」

一通り電話でのやり取りが終わると、ナージュは深いため息をついた。

「どうやら、なんらかの事件に関わっているのは、確定だな…こっから先は、警察に任せよう。その方が、アイツのためにも安全が確保できる。」

しかし、

「いや…捜査協力はやったとしても、身柄の確保はこっちが引き受けた方がいいだろう。」

と、ビスタは警察にJボーイの面倒までも丸投げする意見に、否定的な態度をとった。

「おいおい、ビスタ。アーシアンの事はアーシアンに任せる方が…」

「嫌な感がするんだ…もしも警官や監査官に、彼の関係者がいて、しかも事件の証拠隠滅を図る為に接近するとなれば、彼の命が危ない。捜査は協力しても、安易に相手に対する警戒を解くのは、どうかと思うよ。」

ビスタは、過去の経験から、他者の協力に対して慎重な姿勢を崩さなかった。ナージュも、その性格を知ってる上で、

「だが、俺達の捜査で限界があったから警察に依頼したんだろ?警察だって、所轄以外での事件に巻き込まれている可能性があって、全国に情報を求めた上で、直で俺のスマホに掛けてきたんだ。ここは慎重になるよりも、情報収集の為に犠牲を払うべきじゃねぇか?」

と諭した。

「…まったく、ナージュには敵わないね。ともかく、彼を保護する以上、相手が警察の捜査官であっても、必要以上の情報開示はNGだからね。」

「ハイハイ…っと、そろそろ着替えを持っていかねぇと、マズいな。ついでにディオンにも、この件、話しておくぜ。」

と言い残して、ナージュはJボーイの着替えを抱えて、ビスタの下を離れた。

 

数日後…

「ーなるほど、発見時から既に瀕死の状態で、今でも体力が充分に戻っていない…って事ですね。」

捜査官の押熊警部が農園の本陣寮を訪れ、カルタスとナージュが事件の経緯を説明し、警部もまた、Jボーイ…否、“望月淳一”に関する情報を、ナージュ達に説明していた。そこへ、件の彼を乗せた車椅子を押して、ディオンが姿を見せた。

「大丈夫、ちょっと話を聞くだけだから。」

ディオンがそう声をかけると、強張った表情のまま、警部を見据えた。

「彼が、そうですか…いや、わかってはいたのですが、まさか、こんなに変わり果てているとは。」

「押熊警部、余程酷い目に遭わされたショックで、殆どの記憶が消えてます。おそらく、事件そのものを話す事は、無理だと思います。それに…見ての通り、今の段階では、身体的に起きているのが精一杯です。」

「いや…説明されなくても、この姿を見れば、話す事すらままならないのは察しがつきます…望月くん、もう少し、我々が…」

「もち…づ…き…誰?…僕は…」

「ああ、そうでした…Jくん、我々がもう少し、早くあなたの存在に気付き、捜査を進めていれば、こんな事に…」

「…今は…僕…みん…な…一緒…」

「ああ、無理して喋らなくて良いですよ。詳しい事は、皆さんからお聞きします。Jくん、もう充分です…」

警部がそう言うと、ディオンは一礼して、Jボーイと一緒にその場を去った。

「とりあえず、今回はここで私も帰ります。捜査に進展がありましたら、また連絡します。」

「警部…こっちの方でも、なるだけ事件の全容に繋がる様な情報を収集しておくぜ。こっちもアイツを放っておけないんでね。吉野、警部を駅まで送ってやれ。」

「了解です、星野さん。」

カルタスはナージュの指示に従い、押熊警部の護衛のため自分のクルマへと案内した。当局が極秘の捜査情報を、警部に持ち出しの許可をしたという事は、なんらかの危険が潜んでいる可能性がある…そう睨んだビスタは、当日、捜査官として派遣される者に対して、警護と警戒から“案内役”を付ける事を条件に、本陣寮への立ち入りを許可したのである。警部もまた、国神農園を“第一被疑者”と睨み捜査本部と連携して探りを入れたが、むしろ、保護されている被害者の姿を見て、そして、何よりも自分に対して不信感を抱いた目で睨みつけた事から、この場は一旦引き下がる事を選んだ。そして、最寄駅に着いて、カルタスのクルマを見送ると、すぐさまスマホを取り出し、本部へと連絡を入れた。

「キャップ、国神農園は“シロ”です。被害者は安全な場所で保護され、現在治療中です…」

 

警部が無事に捜査本部へと戻る頃、

「あの…人…悪い人…で…はないの?」

Jボーイが不安そうに、警部の件をディオンに尋ねた。

「キミが、こんな状態になった件に関して、調べてくれてるんだ。今の段階でわかってるのは、とある事件にキミ自身が巻き込まれた…そこまでは、僕等でも調べがついたんだけど、事の次第は、もう少し落ち着いてから…」

ディオンがそう言いかけると、Jボーイはいつもの口調で、しかし、冷静に呟きだした。

「僕…何者かに…閉じ込められ…何が起きたか…わからない…でも…とても痛い…手足…動かない…首が…苦しい…空…見てた…急に…眠たくなって…気付いたら…ここにいた…雷太…そばに来た…助かった…どうして…僕…ここにいる?わからない…でも…雷太…星野さん…みんな…一緒…」

涙を零しながら、ポツポツと、さっきの悪夢を話していた。その痩せこけた身体を、時に震わし、だけど、決して荒ぶれる事なく、ディオンのそばで、事の次第を話すその姿は、何かを覚悟したオーラに満ちていた。

「それって、拉致監禁されたって事か?」

「…わからない…でも、お腹空いた…食べられない…辛い…」

「今は、しっかり食べてるだろ?」

「本当に…何も…食べられない…辛い…変なモノ…口に押し込められ…無理やり…美味しいモノ…食べたい…でも…僕の目の前で…僕には…水ばかり…」

「あ、それで水を飲みたくないんだ…だから、味がないと飲めなかったんだね。」

「僕…雷太に…会わな…かったら…諦めてた…生きる事…でも…僕には…」

沈みがちな気持ちに押しつぶされまいと顔を上げようとするが、その度に涙が止まらず、その度にか細い手はありったけの力で拳を握り続けていた。今は思うように動けない事が、食べたいだけ食べられない事が、そして何より、ディオン達に苦労をかけている事が悔しくて…その思いが言葉に、そして涙になって頬を伝っていた。ディオンはただ、そんなJボーイの思いを一つでも理解したくて、だけど、自分達の“素性”を明かさない様に、絶望の淵から立ち直ろうと、生きる事に足掻き続けるJボーイの背中を、撫でる事しかできなかった。だけど、その手の温もりが、今の彼にとってたった一つの拠り所だった。

「そこにいたか…二人とも、ちょっと付き合え。」

ちょうどその時、 ぶっきらぼうに、ヴェルファイアが二人に声をかけた。

「あ、堀川さん…なんですか?」

「いいから来いよ、J…いや、ジュン。今日は寝るなよ。“主役”がヘロヘロのままだと、面白くもなんともねぇから。」

「…じゅ…ん?それ…僕の…名前?」

「さっきの警部…だっけ?あれがお前の事、教えてくれたんだ。まぁ…雷太がつけた名前と本当の名前のイニシャルが偶然合致したって、こりゃ、明日は大雨だな。」

「雷太…知ってたの?」

「いや、僕は全然…堀川さんも、ついさっきですよね?」

「ああ…ま、ともかく、食堂に行こうぜ。」

 「でも…僕…」

普段、ディオンとナージュ以外の人間とは触れ合わないJボーイ…ジュンにとって、本陣寮の医療区域以外に立ち入る事はなかった。未だに自力で歩けない事もあるが、一番の原因は、作業着から漂う肥料の匂い…特に発酵系の肥料特有の匂いで、何度も吐き気が襲うからである。ヴェルファイアに対しても、普段であれば、作業着姿のままで様子を見に来る事があって、その度に、気分が悪くなっていた…しかし、今日に限っては、その原因となる匂いはしなかった。

「いつもは、野良仕事のついでで立ち寄ってるからだけど…今日ばかりは、作業着以外の服を着ろって、場長がうるせーんだよ。」

と、ジュンに対してヴェルファイアはそう答えた。