迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

民主主義とは“国民皆君主”であり“国民皆奴隷”である。

ぶっちゃけ論で言えば、共産主義も含めた民衆による統治は、国民全員が“君主”であり、同時に国民全員が“従属”する奴隷である事を意味する。つまり、明確な王族・皇室の存在を否定した時点で、国民全員がその“責任”を負うと同時に、自分達にとって住みやすい環境を整える事に関して、いちいちそういった支配階級の顔色を伺わなくても良いという事。言い方を変えれば、有事の時に“誰が責任とるんだ?”ってなると、総じて全員が及び腰になりやすく、一方の勢力に実権が集中すると、その反対の勢力は、故に不当なまでのバッシングを受ける事を意味する。王侯貴族や皇室の、現時点での意義は、単なるお飾り…しかし、国際慣習において、英国王室や皇室…特に天皇に関しては、パスポートの提示等の身分証明を“不要”としている。(他の国王達も同じ)これは、立憲君主制の本義は、通常時は民衆が国政をになっていても、緊急時…特に国際的な戦争に発展した場合、その権限を王族・皇室に返還する事を条件としてるからである。当然ながら、その戦争責任は、全て“国首”である皇族・皇室に向けられる訳であり、代わりに、納税や就労、義務教育等は原則“免除”となる。(とはいっても、英国王室の場合は、男性は士官として軍務経験をやる訳だし、皇室でも、天皇・皇后以外はパスポートの所持が義務付けられてるし、アラブ諸国の王族は、国民の納税をやらない分、インフラ整備及び医療機関や学校の整備は、すべて自分達のポケットマネーで賄う慣習があるし…)つまり、国の“首級”としての役割を担う事を条件に、いろんな意味で好き勝手できるのが王族・皇室の“特権”であって、それに対して民衆は、そういった事を“一切禁止”と詰め寄った場合、それに似合うだけの“犠牲”を、何らかのカタチで民衆“全員”が払わなければならない事を意味する。言い方を変えれば、社会共産主義は究極の“連帯責任主義”であり、国民は、たとえ身障者であろうが子供であろうが、国を支える為の業務に対して、一切の拒否はできない…その行き過ぎた姿こそが北朝鮮の“ロイヤルファミリー”に対する“絶対服従”であり、旧ソ連等の東欧諸国で横行した独裁政治である。もちろん、独裁政治と言っても、王侯貴族や領主といった“首級”の政治ではなく、一党独裁故の“堕落”からそうなる訳である。もっと言えば、それで他国に対して迷惑をかけるどころか、むしろ良好な交流を行えるトコなら問題にはならない訳であり、もっと言えば、“共産主義”と言いながら、実は王制国家に憧れた結果、そういう風になったトコもあるw だから、“絶対王政”や“独裁政治”が一概に悪いとは言えない訳であり、民主主義でもアメリカみたいに、様々な主張を認め過ぎた挙げ句、内政そのものがグジャグジャなトコだってあるw(現に、社会保障制度の導入に対して、どういう訳か貧困層ですら“負担が増えるからノーサンキュ”って言う様なトコですから…)

社会保障が充実してる北欧三国(ノルウェースウェーデンフィンランド)の場合、何でそれが成り立つかと言えば、元々バイキング(料理じゃねぇぞw)の習慣が色濃く残ってる国々であり、そもそも、農業をするにも寒過ぎて、殆どの穀物が作付けできない様なトコである。そこで、トナカイや海獣の肉や毛皮等を交易品として狩猟し、それで得た収益を、住民全員に分配する習慣が、そのまま社会保障制度の“基盤”となっている訳である。だから、子供の時から徹底して、税金の使い道や社会保障制度の仕組み等を学び、代々引き継いできたから成り立つ訳である。この制度を、他の国でいきなり用いようとしても失敗するのは“当たり前”で、習慣そのものが違うのにそれを当てはめようとしても、それ故に不都合が出る人々もいる訳である。日本の様々な差別も、一見すると人権侵害の様に見えるが、実はそもそも論からして、役割分担を明確にする為のモノであり、元々金銭取引よりも物々交換で成り立っていた社会であったが為に、モノの価値観を金銭に置き換えた時におかしくなる訳であって、それに似合うだけの社会的保障が確立されれば、何の問題もない訳である。(と言っても、現実的なことを言えば、それ故に不平等感がハンパない訳で…)以前にも紹介したが、スイスの徴兵制は、国民の総意であり、ほぼ全員が軍事訓練を受ける事によって、有事の際に誰からともなく行動を起こす事ができるから、支持される訳である。それ故に、国内で深刻な事態が起きても、国際社会に対して一切の支援を受け付けない代わりに、周辺国で戦争が起きても一切軍隊を派遣しない…永世中立国である為に、自らが受け入れた“条件”であり、故に国連にも加盟していない。(アメリカやロシアに振り回されるのがイヤだからw)こういった事を知った上で、今回のタイトルの意味を考えてほしい訳である。ガギみたいに駄々捏ねて、自分が負うべき責任を放棄してる時点で、オイラからすれば“国賊”としか言い様がない訳である。ヘイトスピーチ脱原発を叫ぶ前に、自らの責任で、ここまで社会がグダグダになったんだという自覚を持たない限り、国を変える事はできませんよ…何故なら、国民は“君主”であると同時に“奴隷”ですから。