迷馬の隠れ家〜裏別館〜

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の気まぐれBlogですwこちらは、雑記専用となっております…

自分が変わらない限り、世間は変えられない。

憲法9条集団的自衛権等の“政治的ややこしい話”をやる前に、根幹的な事を問い質すと、意外な答えが出てくる…つまり、どんなに優れた思想や哲学があったとしても、それが貧困層まで行き渡るかと言えば、そうは言えない。何故なら、貧困であるが故に、勉学よりも収益を求めるから…という考え方をしてないか?

貧困でも、本気で勉学をやろうと思えば、それこそ図書館に通い詰めたり、駅やコンビニのくず入れにある新聞を拾い読みする等の努力があれば、できない訳ではない。しかし、昨今の貧困層には、そういった努力の“方向性”を間違えている人が多い。その最たる“原因”は、自分もまた“国を支える存在”という意識が希薄になっている事がひとつに挙げられる。つまり、“貧しい”事を“言い訳”にして、幼少期の学びの時間を奪ったり、他力本願が“当たり前”になってしまった弊害が、結果として“自分で考える”という大事な部分が欠落した有権者を増やす事に繋がっている訳であり、また、周囲との繋がりを極度に嫌った結果、相手を思いやる精神が養われず、むしろ“弱肉強食”である事を理由に、自分より少しでも劣ってると思う相手に牙を向く、疑心暗鬼なバカが増える訳である。

知性というのは、周囲と自分、他人と自分を繋ぎ合わせるモノであり、理性とは、その上に立って、自分と、そこに繋がる全てを包み込む為のモノであり、感性は、そこから自分が自分の考えで、あるいは経験上からの直感で、物事を決めていく手段である。それらを信念とする考えが、人間形成に不可欠な要素である。しかし…富裕層の帝王学貧困層が学ぼうと思っても、他者への慈悲の示し方がイマイチ理解できてないと、それ故に関係がこじれる事になる。逆に、貧困層的渡世術を富裕層がマネると、余計に貧富の差がデカくなる。何故なら、どちらも“守りの姿勢”である以上、他者に恨まれても“生き残る”事を是とした考えであるからだ。つまり、貧困から脱出し、成り上がりで巨万の富を得た者が、それを失う恐怖に苛まれるから臆病になり、没落貴族と言えど、先祖代々からの資産が使い切れない程有り余ってると、それ故にいろんな人々が集まり、更に資産が増えてしまう訳である。“攻めの姿勢”ってのは、実に難しいのだ。

では、何で貧困層に限って、なんで教養が身に付き難いのか?その最大の理由が“生き延びたい”という概念に縛られ、努力の方向を間違えるからである。もっと言い換えれば、“自分至上主義”が絶対的な“正義”であり、それを指摘される事を、極度に嫌うからである。以前“俗衆増上慢”の解説をやったと思うが、これに陥る人々の殆どが、“無責任 de 他力本願”な人々で、そのクセして、自分がちょっとでも他人から敬われたい、褒められたい、優れたる者と言わせたい…という、禍々しい願望がある。ぶっちゃけ、自分が苦しい現状を、何らかの方法で打開して、鬱憤を晴らしたいだけであり、その“理由”はなんでも良い訳である。故に、反原発を唱える事も、護憲を訴える行為も、本質的な事、抜本的な解決策を考えてやってる訳ではない…とにかく“自分がエラいんだ”と言いたいだけである。

正直に言わせてもらうが、人それぞれに、持ってる才能や役割が違ってて当たり前だし、そこを認め合って、上手く組み合わせる事で、社会全般は成り立っている。もっと言えば、農家が精魂込めて作った作物を、それに似合うだけの価値を付けて、利用できているか?鉱夫が命懸けで採掘した資源を、無駄なく利用できてるか?職人達が精を出して作った工具を、大事に扱う事ができたか?こういった事を踏まえて、それでも批判を出すならそれでも良いが、単に自分の都合のみでギャーギャー喚く事自体、本末転倒なのである。もちろん、体質的な事や習慣的な事とかは、ある意味ここでは“別問題”であり、そことは関係ない部分で騒ぐのは、自分を支える“裏方に対する侮辱”でしかない。当然だが、宗教を理由にする事自体、言語道断!! ま、宗教の“歪んだ縛り”に関しては、ここでは割愛するが、要は、自分自身の立場が、他者に理解されていないとか、信用されていないといった体裁ばかりに捉われ、バカにされても胸を張って“自分は自分”と意志を示さないからそうなる訳であり、貧乏という現実に捉われ過ぎて、将来を見据えた行動を“無駄”と切り捨てた時点で、教養を身に付けようと思っても集中する事はできない。だって、無駄なモノを身に付ければ、それが邪魔になってしまうからねw そこをどうにかしたいと思うなら、人生に“無駄”はないと自覚する事から始めないといけない。つまり、他人からバカにされたり、自分で勝手に“才能がない”と諦めたりしてる限り、今までの苦労や努力は無意味なモノになる。どんな才能も、それが本当の価値を認められるまでに、個人差はあれど時間が掛かる。どんな苦労も、必ず何らかのカタチで報われる時が来る…この信念を貫ける人だけが、絶対的幸福を勝ち取る条件を満たす。その為の哲学であり、そこを学ぶ一番の近道が宗教なのだが、今の宗教は、殆どが時代に合わない形骸化した戒律のみが存在し、それが信徒の“自由”を奪ってると言って良い。だから貧困層でもカルト化した思想に陥ると本末転倒な発想に縋る様になり、そこから、方向音痴な破壊活動へと至るのです。何度も言いますが、国家の破滅は為政者だけじゃなく、庶民が自分達の意見ばかり述べて他人の意見を聞こうとしない事、そして、自分自身を見失って、現状打破に惑わされる事から疑心暗鬼に走るのです。