迷馬の隠れ家〜裏別館〜

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の気まぐれBlogですwこちらは、雑記専用となっております…

自虐で何が悪い。

中国や韓国の反日感情や、白人共の“イエローモンキーアレルギー”、海洋民族に対する嫌悪感等は、今更感がある。が、根本的な事を言えば、無知である事、そして異文化を“異端”として受け入れられない事が、問題を拗れさせる最大の原因である。ぶっちゃけ、競馬をやってる国・地域と、そうじゃない国・地域とでは、家畜に関する風習や文化がまったく違う訳であり、それはひいては宗教倫理にも繋がる部分である。

一般的なキリスト教において、日々の生き様に迷える姿を“羊”にたとえ、教会を中心とする地域を“牧場”に見立て、その教会にいる宣教師を“牧師”と名付けてる点を踏まえると、牧羊文化が基盤にある事がよくわかる。干支に関する記述にしても、日本と他の地域では、かなりの違いがある。特に“亥”は、日本ではイノシシだが、中国や朝鮮半島ベトナム等ではブタである。これは、日本に干支の概念が伝わった時、該当する動物がいなかった事が原因であって、また、日本固有の概念が取り込まれた事によって、現在の形式になった訳である。(ちなみに、地域によって、トラが猫やヒョウになってるトコもあるw)

女性に関する概念において、これも宗教や地域的な文化の格差がある。往々にして、中東から東アジアの国々では、今でも“男尊女卑”でありその理屈も、基本的な事を言えば、一夫多妻である事が“富の象徴”であるからだ。つまり、数多くの女性を満足させられるだけの財力と体力がない者は、故に一族を守れる者にあらずとされる訳であり、また、家族間での“取引”で、勝手に婚姻関係を結ばれている女性が、他の男性と関係を持つ事を禁じ、(たとえ強姦であっても)それを破った時点で殺されるのは、自分の操すら守れぬ女性に家を預ける事はできない…という事を意味する。当然、地域によっては“女尊男卑”な地域もある。ま、こういうのは世界的に見て少数派な傾向なんだが、理由としては、子育てを優先にせざる得ない女性を守るには、男性が家事全般を行う事で負担を軽減させるという概念があってこそであり、故に女性よりも器用に編み物をやったり、料理が得意な者がいたりする。

ここからが本題、要は、自分が知ってる“常識”を疑わずに、他人を侮蔑する事程、恥ずかしい行為はないって事。言い方を変えれば、“誰が悪いねん?”って事だ。中・韓の反日感情は、言ってみれば、そのきっかけを作ったのは日本人であっても、それを鵜呑みにしてる時点で、そしてそれを口実に“日本人は滅びるべきだ”と主張させる事を子供達に教えてる事自体、既に“間違った正義”である訳である。ただ…日蓮仏法上における御所“開目抄”の一文を借りれば、それを指摘した人間は、故にその“正義”の名の下で迫害を受ける事になる。が、それを恐れて何もしないのであれば、それによって恥を掻き、不幸になるのは未来の者…つまり子孫達であると記している。(業務連絡:今回の御書講義の範疇です。)言わずもがな、朴政権が傍若無人な外交をするのも、習近平体勢の中国情勢も、結局は彼等の親世代がついた嘘を、政権にいる者自身がそのまま鵜呑みにしてるからこそ、余計に拗れる訳であり、また、どんなに“真実”を彼等に告げたとしても、それを彼等が信じる事はできない…何故なら、周囲の大人の態度を見て育っている以上、それを習って踏まえるからである。そこに“正義”とか”悪”の概念は関係無く、ただ、自分の安穏だけを望んだ結果である。言い方を変えれば、自己満足の為の他力本願に甘えた結果、自分以外の人々が不幸に見舞われ、それを救済しようと手を差し伸べると、却って自分自身の安穏や平和が壊されてしまう…というジレンマに陥った状況なのである。

自分の幸福の為に、多くの犠牲が払われている自覚がない者程、他者の振る舞いに対して侮蔑する。ここんトコのBPOからの査察で、打ち切りや内容変更を余儀なくした番組を見かけるが、くだらんクレームを言いがかってる視聴者なんぞ、結局はバカ以外の何者でもない。もっと言えば、クレームのない番組は、故に“誰も見てない”と一緒である。逆を言えば、苦情が多い番組程、視聴者が“本当は見たい”番組だという事でもある。大体、SNSを含むインターネット上の情報なんぞ、民族差別や宗教批判のオンパレードであり、そこでの炎上は、第三者から見れば格好の“娯楽”である。古より、争い事は、自分に被害が及ばない限りは最大の娯楽であり、その“戦果”を予想して勝敗を付け、それに一喜一憂してる歴史が、どれだけ繰り返された事やら。しかし、それ故に自分にその災いが降り掛かると、どれだけ悲惨でやりきれない想いになるか…それがわかってても“自分じゃないから”と、事の責任の所在を他者に丸投げして逃げる以上、この不幸は延々と、未来まで続く事になる。それを止める為にやるべき事…それは、子供を騒動に巻き込まない事と、子供に謝罪する事です。つまり、誓願とは自らが背負う使命に対し立ち向かう事と、それによって迷惑を掛けた事に対し、素直に頭を下げる事である。特に、人生を狂わされた子供達に対し、土下座するぐらいの思いで、真実を語る事が、重要な事なのです。他者の不幸を嗤う者は、自らの不幸を嘆く権利はない…