迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

小説のようなモノ…ティルタニア騎士団物語 第14話。

数日後、月に一度の定期検診を受けるため、ジュンはいつもの部屋で待機していた。ただ…ちょっと様子が違うのは、普段はジャージとTシャツだけの格好で受診するのに、今日に限っては、この日のために設えた様な、とある私学の学生服が用意されていた。

「所長が言うには、セカンドオピニオンとして、きちんとした医療機関での受診もやった方がいいって事らしいんだ…で、単なる定期検診だってのに、普段と違う場所に出向くからって事で、一張羅を厚らっておけって言うからさ、色々大変だった訳よ。」

と、不思議そうにしてるジュンに対して、カルタスがそう答えた。

「先月の検診…これ作るための、採寸だったの?」

「そんな事ないよ…身体測定はいつもやってるだろ?それに、血液検査や感覚検査とか…」

「でも、この服…初めて着るのに、すごく身体に馴染む様な…だけど、どこか硬い様な…」

ジュンが戸惑うのも無理のない話で、押熊警部がガサ入れした際に見つけた、ジュンが受けるハズだった高校のパンフレットに掲載していた制服の画像を参考に、特別に用意したのである。しかも、身体測定のデータを用い、正確に、ジュンの体型に合わせた型紙を作り、ミゼットが3日掛りで裁縫した、完全なオーダーメイドの逸品である。

「流石に骨が折れたよ…ジュンは標準的な高校生に比べ、全体的に細いから、スーツはともかく、カッターシャツが歪になりやすいんだよなぁ…」

そうボヤくが、出来栄えは上々である…錬成術で作るのは容易くても、敢えてフルオーダーメイドで一式を作ったのには意味がある。そう、安易にジュンの目の前で錬成術や、時空術を用いずに、いかに“普通のアーシアン”としての生活をやっている様に装うためである。だから、必然的に様々な職種のスキルが必要となる。ミゼットはかつて、偵察任務の際に、小さなテーラーに出入りしていた経験があり、その際に本格的なスーツやジャケットの裁縫を学んでいた。そのため、今でも折に触れて、みんなの普段着仕様のスーツやジャケットを作ることがある。ただ…最近は専ら、ヴェルファイアの趣味に付き合わされ、アニメのコスプレ衣装を作る機会の方が多いのだが。

「でも、まあ…これなら高校生に見えるから、普通に街中を歩いていても、大丈夫っしょ。」

と、一応の手応えは感じてる様なので、満更でもないのかもしれない。

「でも…なんで、この服じゃないと…ダメ?」

「それは、この農園の外に出るからだよ…しかも、人が多い都会に出る以上は、気合い入れないとな。」

と、カルタスはジュンに答えた。

 

街へのドライブは、救護されて以来、初めての経験ではあったが、変わり映えしない本陣寮の敷地より外に出る機会がないジュンにとって、とても刺激的な事ではあるのだが、言い知れぬ緊張感が、顔を強張らせていた…

「多分それ、期待と不安で、ワクワクしてる感情なんだと思うよ。」

ミゼットがそう声をかけると、

「これが…ワクワクする…感覚…?」

と、ジュンは理解に苦しんだ。

「無理ないか…感情すら、失ってしまうほどの酷い目に遭ったんだからなぁ。普通なら、外に出ることに対して、ときめいたりするモノなんだけどね…」

「とき…めく?どうして?」

「そりゃ、いつもと違う場所に行くこと自体少ないジュンにはわからないだろうけど、見知らぬ街や風景に出逢うこと、普段と違う場所で、普段じゃ体験できないことをやるのは、不安よりも、これからの期待や結果に対する希望があると、信じてるからだよ。ジュンには、そういう思いはないのかい?」

ミゼットの問い掛けに、ジュンはますます混乱した…その様子を、バックミラー越しに見ていたカルタスは、ハンドルを握ったままこう答えた。

「想像できなくてもいいんだよ…今は理解できなくても、自分自身が求める答えを探しに、一歩でも外へ出ることが、今は大事なんだから。踏み出す勇気は必要でも、不安で仕方ないから戸惑うんだ…でも、前に進むのは、その勇気で不安に打ち勝った者だけができることなんだよ。」

その言葉に、ミゼットはハッとした…そう、今回の目的は、努がいる健凰会病院での検診を口実に、農園以外の外の空気に触れさせ、少しでもジュンに人間らしい感情や表情を取り戻せるよう促すのが狙いである。そうこういってる内に、クルマは健凰会病院の駐車場に到着した。都市部から少し離れた、小高い丘の上に建てられた真新しい感じの病棟は、廃校利用の本陣寮に比べると雲泥の差である。

 

「…とりあえず、今回の詳細データは、国神さんに送っとくよ。完全とは言えないけど、随分と回復できたモンだな。」

ビスタから受け取ったジュンのカルテを見ながら、今回の検診の結果に対し、努は目を細めながら応えた。

「この調子でいけば、完全な社会復帰も可能だろう…が、そのためには、様々な人との交流経験が必要になる。しかし、君の場合、嗅覚が異常に鋭いため、ちょっとした香水や制汗剤…要は汗の匂いや様々な人工的な匂いに対し、鋭敏になり過ぎてるトコがある。」

「そう言えば…農園内の匂いに関しては、多少慣れたのもあって、そんなに拒絶する様な事はなくなったけど、ここに入る際、何かを気にしてる様な仕草をしてましたね。」

「恐らく、様々な化学薬品の匂いが充満してる場所だから、落ち着かないんだろうね。」

「俺にはさっぱりだが…ジュンはそれ、感じてるのか?」

と、カルタスが尋ねようとしたら、ジュンはしきりにハンカチで鼻を押さえる仕草をしていた。

「やはりな…ここじゃ話にならないんで、フェリム邸の方に移動しよっか。」

「蘇芳さん、大丈夫なんですか?本職そっちのけで、僕らに付き合うのって…」

「心配いらんよ。ここ自体は院長と言っても肩書きだけで、実質は現場のスタッフに任せている…俺は基本、ここにはいないことになってるんでね。」

ミゼットの心配をよそに、努はその場で白衣を脱ぎ、ジュンに近づいた。

「その過敏な嗅覚は、いずれ、いろんな場面で役に立つ。だが…ここじゃ強過ぎて、鼻が痛いだろ?悪いな…だが、今からいいトコに連れてってやるから、もうちょい我慢してくれよ。」

と、声をかけると、使い捨てマスクの様な形状のモノを手渡した。

「そいつは、特殊フィルターで匂いの原因物質をブロックする、特殊繊維で作られている。未だ開発途中のシロモノだが、ちょっとはこれでマシになるだろう。」

努からの説明を受け、ジュンは試しにマスクを着けてみた…すると、今まで苦しそうにしていた仕草を、止める事ができた。

「お、やはり過敏な嗅覚には、それは必須だな…とりあえず、病院出るまでは着けといた方がいいだろう。」

「本当に…助かる…さっきから、焼ける様な匂い、感じてた…あれは苦しい…」

ジュンがそう答えると、カルタスとミゼットは互いに目を合わせ、肩をすくめた。

 

フェリム邸までの道程の中、一旦、港町に立ち寄ることにした。匂いに慣れさせる事と、程度の実験を兼ねて、マスクを外させた。すると、

「よくわからないけど、懐かしい匂い…あの、さっきまでいた、白い建物と違って、息苦しさないけど、でも…匂いが濃い。」

と、答えた。

「海の匂いだね…けど、ここは貿易港と工業地帯だから、自然の海岸よりも空気が汚れてる上に、様々な匂いが混じってる。でも、ここの匂いは平気かい?」

「長い時間…無理。でも、嫌いじゃない…これが、海の…匂い?」

「だろうね、いきなりこういうトコの匂い、嗅いだ記憶もないと、キツいよなぁ…」

「でも…大丈夫。白い建物…吐きたくなる様な…強い…プレッシャー?何か、すごく…居た堪れない…」

「ああ…やっぱ化学薬品に敏感なんだな。」

「農園も…あの匂い…えっと…農薬?あれ、苦手…」

「農薬は極力使わない方向で運営してるけど、たしかにエグいよな、慣れないと。」

「今日の吉野さん、杭全さんから…刺激強い感じの…臭わない。いつも…強いから。」

「そりゃ、今日は外に出るからね。普段の作業着のままだったら、単にみすぼらしいしね。」

ミゼットがそう答える横で、カルタスはジュンと一緒に目の前を行き交う船を見ていた。