迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

小説のようなモノ…ティルタニア騎士団物語 第10話。

国神農園から警察が引き上げた頃、ダイナは、事の次第を報告するため、本陣寮のビスタの部屋に訪れた。

「…なるほど。だとすると、背後にいるのは、あの事件以降姿を晦ませた、フォルクス中将…否、その“偽物”がいる可能性があるな。」

「クロノス様を襲った、件のクーデター集団の中心人物…しかし、当のフォルクス中将自身は、先のヴェネゼブ暗殺事件の際に、モーザ隊に嫌疑をかけられた末、自ら命を絶った…仮にその情報が嘘であるなら、今も存命で…」

「いや…中将は俺達の眼の前で、自分の首を刎ねた…いくら練成術で肉体を瞬時に修復できるといっても、その場に医療班がいて蘇生が間に合えば別だが、あの場には医療用生態練成ができる、アグリブロスは一人もいない状況だ。まして、即死状態の被疑者を回収して、人為的に操作して生きてる様に見せかけるには、死体に定期的な防腐処理と、遠隔での操作を可能にするデバイスが必要になる。逆を言えば、なりすましで中将の名を騙り、一個小隊を動かしているのであれば…」

「“トライグラン”だな…」

「ビスタ…やはり、あの一派がこっちでも蠢いているってことか。」

「あり得るな…そして、この手口…時空操作をやってる加減でアーシアンにはバレにくい半面、マム・アースで行動する我々には、むしろ厄介だな。」

ダイナの報告内容から、明らかに警察組織内に、かつてティルタニアを乗っ取ろうとした、敵組織の内通者がいることに、ビスタ達は勘付いた。と、同時に、その内通者が誰なのか、慎重を期さなければならないことも意味していた。

「つまり、余計なことをしないで、しばらくは農作業に没頭した方が無難…ってことだな、ビスタ。」

「ジュンくんの件も…とりあえずはディオンとシーマに任せ、他のみんなは通常業務をやってくれ。それとナージュ…」

「マーグに連絡入れろ…だろ?」

「悪いな…こういう時だけ、彼の力を借りないと動けないのが歯痒いが、表立って動けば、確実にここを特定されてしまうからな。」

ビスタは、ナージュに指示を与えると、深いため息をついた。

「もしも、ジュンくん自身がこの事件の鍵を握っているのなら、記憶喪失である理由、かなり厄介な事情が孕んでるな…」

そう呟くと、何かを察したのか、ナージュは無言で部屋を後にした。

 

一方、 ジュンはリハビリの一環として、セルボの指示でスコーン生地を切っていた。国神農園ブランド“天地の恵み”で作る焼菓子の中でも、一番シンプルながらも評判がいい商品で、特に自家製和紅茶を練りこんだスコーンは、通販でも出荷に2週間待ちが出るほどの人気商品だ。製菓工房内ではオーブンが開く度に、品のいい紅茶と甘い香りが漂っていた。

「この匂い…好き。」

ジュンにとって、紅茶のスコーンが焼ける匂いは、数少ない体が受け付けることができる、気持ちが安らぐ匂いだった。保護されてから初めてここに入った時、他の場所と違い吐き気を催すことがなかった…加工食品を製造する区域内で、激しい吐き気を伴うのは、致命的なことである。しかし、国神農園に定住するには、重労働の農作業はともかく、食品加工の現場での作業は、最低限度のスキルとして必要なことだった。だが、極度に嗅覚が鋭敏になっているジュンにとって、どうってことのない食材の匂いでも、汚物のように感じてしまうことがあった…その感覚が唯一抑えられるのが、和紅茶を使ったスイーツだった。そこでセルボは折を見て、紅茶のスコーン作りを手伝わせたのである。その嗅覚を利用して、異物混入の有無や生地の配合の誤差を見極め、製品の品質向上に成功したために、今ではスコーン作りに欠かせない助手として認めているのであった。

「よし、今回はここまで…もういいよ、いつもありがとう。」

セルボが声をかけると、ジュンは深いため息をついた。自分にもできる仕事を、きちんとやり遂げた、安堵の表情がそこにはあった。

「明日も、たくさん…作る?」

「いや…明日は休業。だって、このオーブンの定期メンテが入るからね…他のお菓子を作るにしても、ジュンには匂い的に無理だろ?」

「紅茶使うお菓子、他にあるの?」

「おいおい…小麦粉と油脂を使わないお菓子は、製造過程を見て気持ち悪いっていったの、お前だろ?」

「でも…この匂い…好き…」

…参ったなぁ、興味持つことは良い事なんだけど…とセルボはジュンの純粋さに戸惑いながらも、最後のスコーン生地をオーブンに入れた。焼けるまでの間に、製品規格としては適さなかったスコーンを集めてカゴに入れると、ジュンにビスタの下へ持って行くように指示を出した。