迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

小説のようなモノ…ティルタニア騎士団物語 第6話。

ビスタの手元に、再び神具が戻ったその日…農園の敷地にほど近い、幹線国道へと続く林道の脇の薮で、首から下が地中に埋まった状態の少年が、今にも息が絶えそうな状態で空を仰いでいた。その少年は、極度の栄養失調と、精神的に追い詰められたのか、髪の色が真っ白だった。朦朧とした意識の中で、今にも降り出しそうな空を見ながら、命が絶えるのを待つしかなかった…再び眼が醒めるその時までは。

 

“…どこ…だ…ろう…”

朧げな意識が、再び光を捉えたのは、どこかの集中治療室のようなトコの天井だった。目線を少し横に向けると、幾つかの管が自分の腕についているのが見えた。そして、何者かが自分に近づく気配を感じたが、身動きが取れぬ少年は、虚ろな眼差しで気配を感じた先を見る事しかできなかった。

「…よかった、気がついたようだね。」

少年にそう声をかけたのは、様子を見に来たディオンだった。

「まるまる、一週間も眠ってたんだよ。一時はどうなるかと思ったけど、どうやら、その様子だと、大丈夫そうだね。」

「…」

言葉を発するだけの体力もない少年は、ディオンの言葉に何かを感じ、それまで強張ってた口元を緩めた。そして急に頬に熱いモノが流れる感覚が走った。

「…そっか、辛い思いをしたんだね。今は、なにも考えずに、ただ、横になってたらいいよ。なにがあったのか知らないけど、でも…今は聞かないでおくよ。キミ、早く元気になるといいね。」

ディオンに頭を撫でられると、安心したのか、再び眠りに落ちた。痩せこけた少年は、その優しさを信じてみようという思いから、手を握り返そうとした。ディオンも、それを察し、両手でその手を包み込んだ。微かにしか動かない、骨と皮だけのような指先に、ディオンの両手はとても暖かかった。

 

それからひと月程経ったある日、少年は、体力を回復させるためのリハビリを受けていた。最初の頃は、極度の摂食障害の影響で、離乳食に近いモノしか口にできなかったが、この頃になると、自分の手でスプーンを持って、少しずつ、ゆっくりと口に食べ物を入れる様にはなっていた。相変わらず、痩せこけたままだが、救助された頃と比べたら、幾分血色も良くなってきた。

「それにしても、名前すら思い出せないとは、困ったモノだな…」

ディオンと、救助に当たったカルタスからの報告を聞いて、ビスタは渋い顔をしながら、少年の調査記録を見ていた。青年には、身元判明に繋がる手がかりが、一切なかった。救護された当時、身体中に暴行を受けた痕跡はあったものの、衣服をなに一つ、身に付けていなかった。そして、手足を後ろに縛られた状態で地中に埋まっていた事もあって、事件に巻き込まれた可能性があった…一応、管轄の警察に捜索願などの問い合わせを行ったが、現時点では、有力な手がかりとなる情報は見当たらない。今の状況でわかっているのは、相当な時間、まともな食事を与えられていなかった事と、現場に首から下を埋められたのが発見される半日前であるという推測、そして、身体を縛り上げていた荒縄は麻製で、おそらく抵抗できない事を分かった上で、なおかつ、完全に動けない様にするために関節部分を重点的に締め上げていた事である。その影響は、少年のリハビリにも及んでいて、未だに握力と腕力が戻らず、脚力に至っては、歩く事すらままならない状況である。不幸中の幸いは、腱や神経に深刻なダメージがなかった事で、他人が自分の手足を触れた感覚は認識できる。しかし、極度の記憶障害があり、自分の名前すらわからないほど、殆どの記憶が消えていた。

「でも、今の段階で無碍にできないでだろ?」

「そりゃ、未だに自分で身動きできるほど体力が戻ってる訳じゃないし、身寄りがないのであれば、安定するまでは保護せざる得ないよ。けどなぁ…」

ナージュの問いかけに、ビスタは腕を組んだまま困った顔をした。それは、国神農園の秘密を、普通の人間に公開する様なマネはできないからである。だが、少年は帰る場所がなかった…自分に繋がる一切の記憶がない彼に、社会復帰が難しい事は予想できた。しかし、ティルタニアンではない、まして、就農経験もないと思われる普通の少年に、ここでの定住は、厳しい事も予想できる。

 

「随分、動ける様になったね、Jボーイ。」

Jボーイ…ディオンが記憶喪失の少年に名付けた、仮初めの名前だ。だが、ディオンにとっては、まるで弟の様な存在に思えた。今は未だ、骨と皮だけな姿だが、どこか自分にも似た、 鼻筋の通った端麗な顔立ちと、細身の割にゆったりとした肩幅は、とても他人には見えなかったからだ。

「雷太…僕…」

「焦っちゃダメ、ここまで動けたからといっても、無理すると体力が…」

「少しでも…動ける…なら…手伝う…寝たきり…嫌だ…」

「気持ちはわかるよ。でも、今のままでは…」

「恩…返す…迷惑…かけたく…ない…」

「Jボーイ、誰も迷惑だって…」

「おい、根岸…それじゃ逆効果だ。J、寝たきりが嫌なら、無茶できるか?」

「…」

「ほらな。今の自分がどういう状況か、よくわかってるじゃないか。J、本気で迷惑かけたくなかったら、体力を温存しろ。今のアンタじゃ、自力で歩く事すら無理なのに、いきなり重労働したら、また寝たきりになっちまうぞ。」

「…だから…手伝う…」

「おいおい、その体で無茶したら…」

ナージュの言葉を振り切って、痩せこけた体を無理やり立ち上がろうと、Jボーイはベッドの枠に手をかけ、足を踏ん張るようにして膝を伸ばした。ただでさえ貧弱な状態で無理をしてる事もあり、立ち上がっただけで肩で息をするほど体力を消耗してるのは、誰が見ても明らかだった。だけど、Jボーイはディオン達に報いたくて壁に手をつきながら、一歩を踏み出す。その瞬間、バランスを崩して前へと倒れこみかけて、その身をディオンが支えた。

「は…離せ……どいて…くれ…」

そう言い切りると、そのままディオンと一緒に倒れこんだ…凄まじく身体中が熱くなっている。

「もう…役…立たず…な…んて…いわれ…たく…ない…」

譫言のように呟きながら、立ち上がろうとするJボーイに、ディオンは何かを察した。

「心配しないで。置いて行かないから、役立たずなんて、ちっとも思ってないから、だから、今は一緒に休もう。でないと、キミ…」

肩に手をやり、そう呼びかけると、その声が聞こえたのか、急に大人しくなった。

「らい…た…?」

「大丈夫…ここにいるよ。」

どうやら、意識が戻ったようである。しかし、急激な体力の消耗をしたせいもあって、自分から体を起こす事はできなかった。ディオンは、自分の上に覆い被さってる様な姿勢になっているJボーイをゆっくりと起こし上げると、下敷きになった自分の身体を抜く様にして起き上がり、そのままJボーイを肩に担いだ。