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迷馬の隠れ家〜裏別館〜

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の気まぐれBlogですwこちらは、雑記専用となっております…

知る権利と黙る“義務”

さて…一部の弁護士やマスメディアの記者にとって“都合が悪い”法律(特定秘密保護法)が施行された訳だが、ぶっちゃけて言えば、一般庶民にとっては“どうでもいい”話でしかない。なぜなら、知る権利というのは、単に情報を共有することではなく、情報の“性質”によっては、無闇矢鱈に開示してはいけない部分…つまり、秘密にしておく事で、事の混乱を抑えなければならないことだってあるという事。そこを含めた意味で振りかざす分には良いのだが、何でもかんでも“開示すべき”というのは、むしろ本当の意味で相手を信用してない証拠であり、情報の正確さを有耶無耶にしかねない話である。つまり、真贋を見極められない人に、特定の情報を喋ったとして、その“事の重大さ”がわからない以上、不特定多数の相手に開示することが、いかに“危険な行為”であるか…それを踏まえた上で批判すべきであって、情報をすべて開示すべきであるなら、プライバシー(個人情報)の保護なんぞ、クソくらえな話になりかねない。

つまり、国家の重大な危機を招きかねない様な事案があったとして、それを一般庶民に喋るのはいいが、もしもその中に他国の諜報部員がいて、それを聞いたとしたらどうなる?更に、自分自身が調べた情報の内容に、誤りがあった場合、それによる混乱は、誰の責任となるか?ここの部分を踏まえた上で、“知る権利”というものを考えるべきである。つまり、誰にも言えない様な“秘密”を、第三者に打ち明ける事ができるのは、あくまで相手が守秘義務を守れることを約束してるからこそであって、口の軽い人に相談事をやって、回り回って自分の下に、自分の“情報”が外部に漏れた事を知れば、感情的に激怒するのは目に見えた話。つまり、そこんトコの概念をすっぽかして、“知る権利の侵害”を叫んだとしても、誰がその意見に賛同するか?ここが一番重要なことである。

況や、チェック機関が身内の者であったとしても、秘密にしたい“情報”は、必ずどっかで“漏洩”するモノであり、それゆえの“犯人探し”をやったとしても、それで不利を受けるのは、不特定多数の民ではなく、情報を漏らした張本人であり、情報の発信源となった機関自体です。ぶっちゃけ論で言えば、自分自身に不都合な事があっても、それを外部に漏らさない“約束”が守れない状況であれば、故に黙秘するのは当たり前なことです。つまり、“知る権利”というのは、“黙る義務”を守れてナンボな訳であり、それが守れない様な状況では、却って情報に惑わされた挙句、情報を仕入れた当事者がパニックを起こしかねないのです。もちろん、それを“目的”としてる不逞の輩がいる訳だが…その“理由”だって、ある意味感情的なトコがあって、単に相手を、あるいは不特定多数の民衆を蔑むための行為でしかありません。

“誰か”に“何か”を話す時、本当に気をつけなければならない事は、その“話”をして、どんな影響が出るかを考えずに喋る事です。例えば、医師に身体検査を依頼し、その結果を聞く時、その“判断”を信じられるかどうかは、一種の信頼関係に基づいた判断が試されます。仮に、胃カメラの検査で異常があって、組織生検を行うために、粘膜の一部を切り取って検査した旨を伝えられた時、何もわからないままでやれば、それはそれで一瞬パニックになるでしょう…しかし、正確な診断を下すために行った事を、浅はかな情報のみで勘違いすれば、さらに混乱するだけです。だから、検査の結果に対してさらに正確さを求めるためのセカンドオピニオン(他の医師による再検査)が認められている訳であり、総合判断から結論を出しても遅くない訳です。(胃にポリープがあったとしても、それがガン細胞なのか、あるいは単なる炎症なのかは、生検での組織解析を行った上で判断される事であって、素人の考えてパニってたら、助かる命も無駄になる。)だから、開示できる情報に制限をかけている訳でもないのに、まして国防の観点からの“情報規制”であって、それをさも“知る権利の侵害”と騒ぐ方が、他国から見れば異常なのです。企業でもまた然りで、特許製法の類は、業種ごとの“最重要機密”な訳であり、そこを明け透けで公表すれば、製品の価値が下がるだけでなく、粗悪な模造品が大量に、市場に流れることになり、利益を損ねる事になりかねません。だから、下請け企業であっても、受注先からの要望で部品製造を行う際、自作を含めて他に転用しないことを条件にライセンス(製造許可)を取る訳です。そこをバラすべきだと言ってる時点で、お察しですw

だからこそ、秘密を作るべきでないという人は、今一度、考えた方が良いでしょう…自分の秘密を他人にベラベラ喋る事の怖さと、それが拡散した時に、謂われなき侮蔑を受ける事が、どれだけ腹立たしいか。