迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

いじめは必ず、己の命を傷つける…

今日のTwitterでのやりとりについて…事の発端は、一部の学会員が公職選挙法に抵触する様な行為を行ったというつぶやきに対して、オイラが余計なツッコミをやったために、プチ炎上になった訳である。ま、“学会員あるなる”な話だが、公職選挙法で規制される行為は、あくまで選挙期間中…つまりは、告示(国政なら公示)日以降投票日までの行動が規制されるのであって、それ以前であれば、選管の“預かり知らず”な範囲であり、また、候補者、あるいは議員本人が、選挙区内での金銭授受に関して、たとえ親族の冠婚葬祭であっても、それを一切禁じてる訳である。そして、取沙汰されている政務活動費に関して言えば、公的イベントへの参加や、事業内容の視察等といった部分での必要経費で、かつ、私財では補えない部分を請求するのが本筋であって、私的なボランティア活動は、当然ながら、主催者の手弁当でやってる訳である。マスメディアが報じてる殆どの事案も、おそらく、役所的には“無問題”な事でも、情弱な一般人からすれば“けしからん事”にしか見えない…ま、無理ないねw 今までの政治家自身、生活費の殆どを、政務活動費として計上してるからね。でないと、確定申告での申請が大変だからねw(実体はともかく…)

閑話休題。で、他の学会員がやってる事を見ずに、選挙の話になると湧いて出る公選法的にグレーゾーンな話を、さも“学会員は汚い連中”というレッテル貼りをやりたい連中が、それを解説してるモンを“説教するキモいヤツw”とSNSで罵り、それを拡散して、賛同するモンを巻き込んで大騒ぎする訳である。でもさぁ…SNSも含めたインターネットって、結構“世界中”に自分の“恥部”を晒す行為なんだけど、その感覚が鈍化してると、最後、自分ではどうすることもできない状況になるのは、ニュースで何度も報じてるのに、まるで“自分は無関係”とでも言わんがばかりに、学会員を“公開処刑”してる姿、正直、滑稽ですよw むしろ、学会員を“叩くこと”しかできない自分を、世界中に晒してどうするよw もちろん、この点ではオイラも“同類”だし、他人の事は言えた義理ではない。だけど、自分自身を正当化するつもりも、ひねくれるつもりもない。ありのままの自分自身で勝負する上では、対等なる存在として相手を扱う事が肝心であって、ウエメセでも遜るも、関係ないこった。

第一、学会員の“HENTAI活動”を嬉々として取り上げ、罵詈雑言するのは別段、普段通りの話だから、別に気にする様な事でもないのに、それを取り上げている以上、それは学会に関して興味があったり、入信(入会)したいという深層心理の表れだと、学会員に“勘違い”されてもおかしくない行為である。もっと言えば、罵れば罵るほど、本当はこんな“バカな連中”が羨ましいから、だけど、仲間入りして他人から叩かれるのがイヤだから、どうしていいのかわからないという“心の迷い”に囚われているのである。オイラから言わせれば、そっちの方が“キモい”訳で、自分が見て“キモい”からといってバカにするのは、自分自身の“醜態”を見てるからこその話。この裏別館でも書き綴ったが、自分の視覚に映ってる“姿見”は、鏡を使わない限り、自分自身を見る事はできない。当然だが、その“深層心理”も、物理的に見る事はできない。しかし、自分自身の意識の中で、自分が見てる“姿見”を疑って見れば、自ずと己の“醜い心”を映し出す事になる。そのための“訓練”として、多くの仏教系僧侶は、本尊とされる曼陀羅や仏像に手を合わせ、声明(唱題)をあげ、何度もその身を投げ出す“おつとめ”をやる訳である。正直、他宗派の人間が見れば、この“修行”そのものが“HENTAI行為”に見える訳で、自分自身の行動を正当化しようとバカにする訳である。それ、目クソ鼻クそですわw

人を敬う…という行為は、正直、何を持って“敬意”とするかは、相手次第なトコがあるから難しい。まして、自分では気を利かせてやった行為が、相手が誤解して批判すれば、バカバカしくなるのは当たり前。そして、自分の思い通りにならない事を他人の所為にしてる人ほど、自分の“善意”が否定された事に関してムカつく訳である。説教されるのがイヤなら、自分が“完璧な人徳者”になることである。でもそれって、究極の“嫌われ者”になる覚悟がないとできない事であって、批判や中傷に対して、それを笑い飛ばせる程の懐の深さがないとできない事であり、また、それを恐れずに相手に話せる度胸がないとできない。当然だが、失敗も成功も、その結果を全て素直に受け止められる人でないと、どんなに自分で“完璧”だと思っても、他人から批判されるだけである。

むしろ、完璧な存在がいたら、多分、他の存在は“不要”でしょうから、自ずと“消滅”してるでしょうw なぜって?比較する必要もなければ、競い合う相手もいりませんし、それどころか、その存在を示す必然性もありませんからw だからこそ、他人の才能や意見に対して、ボロカスに言いまくる暇人が必要なのですw その僻み根性がある人と、正反対に存在する者が“セット”で、個性や才能などの部分は光が当たるのです。光があれば影があり、影が濃ければ光がまばゆい…この理がある以上、バカにする人も消えないでしょうし、それでムカつく人もいなくならないでしょうw 全ては自分が自分である以上は…