迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

何でもかんでも、他人を批判するな。自分が“利用者”である限り…

昨日、御嶽山が噴火して、Twitterでの情報収集をやってたら、マジでキモい感情論でほざくバカなアカウントがウジャウジャと…言わんとせん事はわからんでもないが、それとこれとは“別問題”であって、何でもかんでも関連付けて話すべきではない。…こう何度もオイラはTwitterで、あるいはこの裏別館で書いた訳だが、いっこうに直らない様である。まぁ…自分の意見こそが“正義”だと思ってる人程、自分がカルトな思考に陥ってる事に気付かない人種であり、多角的に物事を見て、選別する能力が乏しいのだと思う訳だが…

まず多いのは、脱原発と結びつけるネタ。これに関しては生温く笑うしかないw 何故なら、原発事故は老朽化した原発廃炉せずに、CO2排出量制限の名の下に酷使した事と、いわゆる“事業仕分け”の名の下に地震や火山活動の観測機器の更新を怠った事、そして、様々な人為ミスによって引き起こされた部分に加えて、マグニチュード9.0という未曾有の衝撃によって生じた津波でとどめが刺さったから起きた事故であって、もしも京都議定書を守る必要などないのであれば、とっくの昔に建造から40年以上経った原発は、既に廃炉準備に入ってても良かった訳である。逆の言い方をすれば、それを見誤ったのは利用者である国民全員であって、企業としての東電原発利権を振りかざす自治体のせいではない。

次にリニア新幹線絡み。これもまた、トンデモ論のオンパレードで、なんであのルートなのかを解説すれば、東南海沖地震東海道本線および新幹線が津波でつぶれた場合、北陸新幹線という迂回路ができたとしても、支援物資や避難の経路としては不確定であると同時に、上手く機能しても、許容量オーバーは急速な劣化を招きかねない。つまり、インフラ整備を嫌ったせいで、既存の避難経路が使えなくなって犠牲者が増えるという、広島の豪雨や東北の津波被害の様な結果を繰り返す事になる。高速道路にしろ、鉄道網整備にしろ、それらはあくまで平時の事よりも有事の時にこそ、本当の意義を知る事になる。ぶっちゃけ、19年前の阪神大震災の時でも、まさか阪神高速3号神戸線が横倒しになるなんて、誰も予想できなかった事であり、復旧までに4号湾岸線を使おうとしたら、そこも橋桁落下でしばらく使えなかった事を踏まえれば、幹線道路の“バイパス”は、同じ様な場所にいくつも作っても同じ様に被災したら意味がない。だからこその迂回路としての高規格道が必要なのであって、単に渋滞緩和や物流量増加を理由にやってる訳ではない。

そして自衛隊や米軍批判…もうここまでくれば、“自助できた?”って問いただしたくなる。自衛隊在日米軍とて、本職は“人を助ける”事であって、その為の訓練を積んでいる。それが建設重機になるか、戦車や戦闘機といった戦の準備になるかだけで、根幹的なトコでは“人命第一”な職務である。ぶっちゃけ、消防士や警察でも、己の命が危なくなったら、たとえ要救護者が目の前にいたとしても、危険回避の為に逃げる事を優先にしてるが、自衛官海兵隊員は、敢て危険を顧みずに救援に走る事がある。それが使命であり、その為の配備としてオスプレイを導入してるだけである。

そこんトコを勘違いして、自然災害をこれらのせいにしてる者こそ、実は天地の神々から怒りを買ってる事に気付かない。他人のせいにして、いかにも自分は“被害者”であると扮してる事こそ、宗教哲学上“愚か者”なのである。宗教はあくまで、先人の偉業を敬い、自ら精進し、それを超えて行く事を請願する教えであって、その為の儀式・儀礼が存在する訳であって、その意義を忘れて形式ばかりに囚われた概念で他者を罵る事は、無神論者ではなく鬼畜がやる行為である。自然からの恵みに感謝し、共存する事を願うからこそ、自然と頭を下げる事ができる訳であって、そういう事ができない者が、自然保護を理由に害獣駆除にイチャモン付けたり、公共インフラ整備を阻害するのは、とんでもない話である。敢ていえば、自然保護を訴えるのであれば、自分が文明に利器を捨てて、それでも快適な生活ができる実証を、自らの体験を持って訴えるべきであり、また、地域によって、それが通用するとは限らない事を知った上で、それぞれの事情に合わせた開発を提案し、実践する事が重要なのである。当然だが、それは他者からの一切の手助けを断った上での話だ。真の意味での自然保護とは、常に人間が必要最低限度の整備を行ってこそ成り立つのであって、過度な開発制限や禁猟(漁)区を制定する事ではない。当然だが、自分の感情論で語るのではなく、様々な地域の歴史と気候、生態系を加味した上でのデータを提示して、どうするべきかを論ずるべきであって、先住の民の経験や予測を無視して強引な規制や過剰な開発は避けるべきである。あくまで、先人の知恵をバカにしたツケは、必ず自分達の子孫末代にまで響く事になる…但し、先人達の意見全てが正しい訳ではない。その“過ち・間違い”を見つけ、そこを改めてこそ意味がある。真の恩知らずとは、即ち、今の自分があるのは、決して自分一人だけで成し得た結果ではなく、様々な人々から影響を受け、あるいは与えた結果である事に気付かない、稚児しい存在である。