迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

24時間100kmマラソンで苦言するのは“何様”だ?

テレビを全然見てなくて、Twitterでの実況ハッシュタグのタイムラインで結果を知ったのだが、今年は放送時間内に、ランナー完走という結果だった様である。ま、走ったのがTOKIOの城島だから、ある意味余裕…っちゃ余裕な結果だろうとは思うがw しかし、毎年の事ながら、この24時間テレビにおける“マラソンチャレンジ”に関して、いろいろとブーイングを書く記事が目立つが、根幹的な事を言えば、“事の初め”を質した上で書いてるのかと疑いたくなるし、まして、炎天下で100kmを、しかも、管轄警察による交通規制なしで走れとなれば、どれだけ“難しい”かを知らない人が多すぎる。ぶっちゃけ、ALSアイスバケットチャレンジと一緒で、目的はあくまで番組内での募金参加への呼びかけと、それに付随して、身障者や被災者の支援を呼びかける事であって、その為の“活動”にイチャモン付けるのであれば、それに似合うだけの代替の“活動”を自らが責任を持って行うのがスジである。そんな事もせずに、単に批判するのであれば、最初から見なきゃ良いだけの話だ。

で、ここからが本題…そもそも、24時間テレビで“ウルトラマラソン”が定番化したのはいつからか、覚えてる人はいるだろうか?そもそもは、番組が20回目の節目を迎え、リニューアル企画を打ち上げた事から始まる訳であり、現在のテーマソング“サライ”も、この時に誕生した楽曲である。以前の“愛はマジック”等のテーマサウンドを一切排し、完全に番組を作り替える必要があったからこその話であり、その一環として、身障者のチャレンジ企画だけでなく、著名人…芸能人のチャレンジ企画も放送していこうという事が、全ての発端な訳であり、そこで吉本興業が一つの提案をやった事から始まっている訳である。そう、ここで気付いた人は、相当なベヴィ視聴者であり、事の次第を見届けてきたからこそ言える話である…この“24時間100kmマラソン”の事の始まりは、間寛平の“スパルタスロンチャレンジ”の一環として、番組で取り上げた事が“全ての間違い”であると言って良い訳である。

当時、ギリシャで行われていた“鉄人マラソンレース”に参加し、完走を目指してた事もあって、その“追い切り”も兼ねた企画として、24時間テレビの中で、およそ200km先から、メイン会場の日本武道館を目指すという“無謀な挑戦”を提案し、実行に移したのが、今から17年程前の話。その時は、沿線での野次馬が進路を妨害するケースが後を絶たなくて、あえなく“リタイヤ”となった訳だが、その後、300kmにチャレンジする際に、事故防止の観点から走行コースを公開しなかった事が、イチャモンの原因になってる訳であり、他の芸能人が100kmマラソンに挑戦する際も、敢てコースを公表しないのも、そういう事があってこその話である。まして、実行時の天候によっては、マラソン…というよりも、野外での活動は差し控えるべき状況下で走らなきゃならんのに、そこで“インチキ”だとか、“ヤラセ”だとか言い始めたら、それこそ昔の体育会系にある“運動時は一切休憩するな”を本気でやって、しかも放送中に熱中症で死亡しても、それで視聴者は“満足か?”って話になる。言っとくけど、競技での100kmウルトラレースの場合と、ジョギングの延長線上の100kmランニングとでは、ルールも意味合いも全然違う。

具体的な話をするなら、薫兄なら12時間程あれば100km走れるけど、それはサロマ湖100kmウルトラマラソンの様に、コースに交通規制を掛けて、しかも適度に給水やエネルギー補給、靴の履き替え等に必要なスポットが整備された上での話であり、同じ条件で三代澤アナが挑戦しても、彼の場合はいつも、70km付近で“タイムアイト”となる…つまり、同じ条件でも、元々の体力、持久力の差で完走できるかどうかのギリギリで設定されたレースで走るのと、同じ距離であっても、休憩施設の有無や実行時の天候、さらにコースの形状や高低差が違えば、走破タイムにも影響が出る。競馬でも、同じ1600m戦で、芝とダート、右回りと左回り、良馬場と重馬場、性別と斤量等の条件の違いで結果が変わる様に、同じマラソンでも、参加者の体力や経験値等の違いによって、得手不得手なコースや条件になる事もある。よく、ホノルルマラソンは“初心者向き”と言われるが、アレは、元々が呼吸器系・循環器系の疾患を持ってる人達のリハビリ目的で始まったレースであって、完走する事が目的であって、タイムアタックのレースではないからである。故に、公式の給水ポイントが3km毎にあり、更に沿線住民や企業のサポートがそこかしこにある為、実質は500m〜1km毎に何らかのサポートが受けられる体制になってるからこその話であり、時間制限もある意味ない訳であるからこそ、“参加しやすい市民マラソン”として定着した訳である。(ちなみに、アメリカの三大市民マラソンのうち、日本人の出走エントリー数が最も多いのも特徴w)

つまり、レース(大会)じゃないから、大規模な道路封鎖を含めた交通規制を掛けられない上に、マナーレスな視聴者によるランナー(参加者)に対する走行妨害をいかに減らすか、そこを重点において考えれば、周辺地域での様々な“仕掛け”は何の為にやっているのか、マラソン大会に参加した事がない者であっても察しがつく。それを“ヤラセ”と批判するなら、自分が実際に“普段の道”をジョギングすれば良いだろう。オイラの近所は観光地であるが故に、実際に5kmジョギングしようと思うと、時間帯によっては“走りにくい”条件になる事がある。また、都会の幹線道路なら歩道がある分、安全にジョグングができるだろうけど、歩道のない、対面通行の道路をジョギングしようモノならば、どれだけ危険か…そういった事も知らずに批判するのであれば、一度、練習なしで、市民マラソンや2〜3km程度のファンランに参加すれば良い。そしてその後、自宅の前の道路をジョギングしてみれば、今オイラが言った事がわかると思う。何もせずにほざくのは勝手だが、経験がある人は、こんなしょうもないイチャモンは言わない…寧ろ、やらないヤツの方が愚かだと見下すだけだ。