迷馬の隠れ家〜裏別館〜

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の気まぐれBlogですwこちらは、雑記専用となっております…

疑心暗鬼だから、紛争が起きるのです。

ウクライナ上空で起きたマレーシア航空機“撃墜”の件で、ぶっちゃけ話をすれば、軍事訓練を受けてない兵士が、地対空ミサイルを誤射したという事で解決を図ろうとしてる様だが、それって、なんかおかしくね?今は削除されてるけど、SNSではそれをやった兵士のコメントで“軍用機、撃墜してやったぜw”みたいなのがあった訳で、そんな事が本当にまかり通るのであれば、過去の“民間機に対する誤射撃墜”って、全て新米兵士のせいになる。そんな事、絶対にあり得ないし、それで決着を図るのであれば、まず、新米兵士を最前線に配備する事自体、要は軍事力そのものがヘボい事を意味する。つまり、内戦をするにも“軍事力不足”であり、それをカバーする為に、若年層を無理矢理徴兵してやっている訳である。んで、その“黒幕”は、自分に疑いが及ばない様にする為に、最前線の下っ端に、全ての罪を擦り付ける訳である。これ、いろんなテロリストに共通した状況であり、戦時下の日本でも、同じ様な事をやってた訳である。もちろん、世界中の軍隊でも、他国から出稼ぎに来た者を傭兵として雇うのも、ぶっちゃけ同じ理屈である。

では、なんで戦争・紛争は無くならないのか?ぶっちゃけて言えば、当事者…この場合は為政者と庶民が、互いに“疑心暗鬼”であるからで、国同士でも双方の為政者が相手を信用してない以上、いつドンパチがあってもおかしくない訳である。日蓮が説く“立正安国論”も、実はこの事を予期して、仏法の教えに従って説いたまでに過ぎない。つまり、互いを信じ合えない以上、それ故のトラブルで最悪の事態に至る…これが、“立正安国論”で仁王経に説かれるとされる文言“国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る…”の意味と合致する訳である。そもそも、なんで国政と庶民が乖離するかといえば、ぶっちゃけ“平和過ぎる”からである。要するに、平和であるが故に、その有難味を忘れ、それが“当たり前の日常”と化してるが故に、為政者は庶民がよそ見してる事を良いことに、庶民は為政者が自分達の要望に答えるのが“当たり前だ”と勘違いしてるが為に、全てがグダグダになる。これが酷くなればなる程、政治も経済も、そして社会の雰囲気も悪い方へと傾く訳である。

イスラエルパレスチナ自治区への砲撃にしてもまた然りで、彼等にしてみれば、他の国から追い出されたからこそ、イスラエルという国を維持する為には、そこを“占拠”してるパレスチナ人を滅亡させないと…という意識が働く訳であり、パレスチナ人からすれば、元々そこに住んでいたのに、何で“余所者”から謂れなき誹謗を受けにゃならんのだという訳である。故に、どんなに和平交渉を呼びかけても、結局は紛争が続く事になる訳であり、双方がそれぞれに相手に対して“滅びろ”と唱えてる以上、その過ちを繰り返す事になる。言い方を変えれば、自分以外の存在を否定してる以上、どんなに第三者が説得をしようとしても、それが通じない訳であり、もっと言えば、自分以外の存在が滅亡しても、自分が“生き残る”事ができれば、どうでもいい訳である。だから、アメリカは終戦間際に、日本に原爆を落とした訳であり、その事を知ったアメリカの人権団体が批判した事によって、朝鮮戦争ベトナム戦争等で原爆を使わなかっただけの話である。(その代わりに、枯れ葉剤や劣化ウラン弾を使ってる訳で…)

ウクライナの紛争にしても、その根幹は旧ソ連時代の支配がここに来て影響を及ぼしてる訳であり、それを良しとしたのがロシアであり、そしてウクライナ自身である。日本の集団的自衛権で、マスメディアが憲法をキチンと理解せずにグダグダ言うのも、また然り。自分自身が、自分の国を、民を、社会そのものを信用してない以上、それを破壊してくてグダグダになる…ぶっちゃけ、オウム真理教がやった行為は、その“代弁”でしかない。心のどこかで、今の世をどうにかしたいと思いながら、何もできない事にイラついてるから、どこかで争乱になる“火種”があれば、そこへ紛れて騒ごうとする。それが、オスプレイの配備であったり、川内原発の再稼動であったり…騒ぐ為のきっかけなんて、なんでも良い訳である。でも…その先を考えた上でやってる人は、皆無である。なんせ、自分の“今さえどうにかなれば…”という気持ちがある以上、相手や未来を見据えて考えるなんて不可能だから。そこをどうにかしたいと思うならば、自分が変わるしかない訳である。まず“信じる”事から始めないと、自分を見失う事になりかねない…“自分がいない”からではなく、自分自身を“信じない”から、居場所をなくす訳である。“今を生きる”事ができない以上、未来も暗いし、何も信じる事ができない。未来を渇望するのであれば、まず“今を生きる”事から始めないと、意味がない。それが“信じられない”から、何もかもが信じられなくなる…これが、破壊を生み出すきっかけなのです。