迷馬の隠れ家〜裏別館〜

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の気まぐれBlogですwこちらは、雑記専用となっております…

データはいつでも“嘘”をつくw

被曝して鼻血ブーな話の続きw 政府の提示してるデータが信用できない、その最大の理由は、民主主義…というよりも資本主義国家であるが故の話。そう、アメリカが銃乱射による犠牲者が出ても規制を掛けられないのは、多くの政治家に全米のライフル業者・企業が多額の“選挙資金”を援助してるからであり、また、石油メジャーが自然再生エネルギー推進に反発する理由も、そういった“背景”が見え隠れしているって事だ。もっと言えば、シーシェパード等が吼える日本の水産資源乱獲も、実態を考えれば、それを“理由”にして反日感情を煽ってるだけで、根本的な水産資源の枯渇を招いてるのは、海洋民族よりも内陸部の人間が、如何わしい科学者や医療関係者に唆されて、必要以上に魚介類を貪ってるからである。“和食”が健康に良いと言われているが、それは何も魚介類だけの話ではない。そもそも論からして、日本はいろんな意味で環境がいい上に、地下資源が乏しい代わりに、あらゆる状況に対応できる器用さがある…こと、食文化に関して目を向ければ、食材の持つ味を知った上で、更に創意工夫をこらして、より美味しい料理へと昇華する文化だ。

ここからが本題…では、そもそも“データ”は本当に信用できるのか?その結論を先に言えば、参考にできても信用に至らないのが本音である。どんな数値データも、そのサンプルの分母や計測に必要な数値を偽れば、ナンボでも改竄が可能であり、また、それをキチンと読み解く技能がないモンにとっては、数値だけ見てショッキングに感じることになる。が、冷静に考えれば、自分に“都合のいい”結果を求めるのであれば、最初からそういう結果になる様に、データ収集してれば良い訳であって、都合の悪い話を省けば、いくらでも自分の言い分が“正しい”と言い張る事ができる。つまり、件のマンガがやっちまった事は、そういう事であり、また、STAP理論の問題も、単純に言い出しっぺの首さえ刎ねれば良いと言う甘っちょろい考えが、理化学研究所の上層部…特にアンチの連中に蔓延してて、それを下村文科大臣が指摘してるのに、わかってないのが本当にイタいw

何度も言うが、データなんてのは、あくまで計測開始時期からの経験則や変遷であって、過去の一定期間を切り出して話す様なモンではない。もっと言えば、いつから計測して、そしてその結果としてどうなったかを知りたいのであれば、それこそ最初の基準を決めておく必要がある。そして、その際の“仮説”と実際の結果を比較し、その“ズレ”をどう説明するかで、答えが違ってくる訳である。だから、最初から広島市長崎市在住の“被曝者子孫”で、いわゆる“原爆症”といわれる症状(突発性白血病甲状腺異常等)が他の地域に比べて、大差がないのであれば、一代目(実際の被曝者)の放射線被曝の程度にもよるというズレも加味して“心配無用”と言っても良い訳であり、同じ定義は、福島第一原発周辺の自治体に住んでいた福島県民にも当てはまる事になる。但し、原爆の場合は一過性である事も考慮すれば、同じ被曝データでも、使うべきはウクライナチェルノブイリ原発の医療データとなるが、ソ連時代のモノというフィルターを掛けると、データそのものが怪しくなる…当時の政権に対する不信感が、結局のトコ、安全に関する重要な部分で信用をなくすのだから滑稽な事である。

大体、業績のいい企業ほど“ブラック”なのは、その業界に精通する者なら、誰しもが知ってる事であり、また、そうでなければ“仕事”にならんって事も重々わかってる訳である。では、何で他人から“ブラック”と罵られるまで、内部の者は気付かないのか?それは、業界そのものの“常識”は、他者から見れば“非常識”…ホイ、以前解説した通り“内外相対”の理に該当するからである。飲食店や小売店業にとって“薄利多売”は、顧客獲得の為の犠牲であり、その為のサービス残業を、従業員に強いる事は日常茶飯事…しかし、もしも労基法に則ったシフトを組もうとすれば、人件費の増大による値上げや、営業時間の制限を行わないといけない。つまり、利用客を逃がす事に繋がりかねない。もっと言えば、賃金に似合わん重労働をワークシェアでどうにかしようと思っても、作業効率が下がれば、やる意味がない。しかし、“蚊帳の外”にいるモンにとって、そんな“裏事情”を話しても通用しない…否、むしろそれ故に“やりたくない”と毛嫌われる事になる。数値データもまた然りで、該当しないと“思われる”事案を省いて纏めたら、当然ながら、そのサンプルに偏りが生じるのは当たり前であり、また、該当地域で不特定多数のサンプルを採取しても、そこから“都合のいい数値”だけの抜き出し、更に危機感を煽るだけの“水増し”を行えば、情報弱者にとって、充分な“証拠”そして相手をバカにする事ができる。しかし、そのデータの“真贋”を見極めたいと思う人であれば、それが如何に“偽装”されたモノかを見破るきっかけにもなる。

“知る権利”とは即ち、地域毎、あるいは個別の“日常”を、個人の常識のみで批判する事ではなく、“郷に入れば郷に従え”で考え、敢えて他言しない事も意味する。言論の自由とは即ち、様々な意見を聞く耳を持つ事であって、一方的な感情で、相手を罵倒する事ではない。そこんトコを勘違いして権利や自由を訴えてる時点で、マナーレスな“撮り鉄”と同類である。真の“撮り鉄”を名乗るのであれば、自分が撮りたい被写体を、ありのままに撮ってこそであり、そこにある“日常”も込みでシャッターを切るのがスジ。そこを“プロ級の画質で”とか、“ここでないと良いのが撮れない”だの言ってる様なヤツは、“カメ小”でもド素人以下でしかない。同じ様に、プロですら、被写体とは“一期一会”である事を胆に銘じ、常に撮影機会を“待つ”姿勢で臨んでるのに、それを無視してやってる以上は、他の鉄ヲタに対しても失礼であり、それ以前として幼稚過ぎる。

閑話休題、要するに、本当に真実を知りたいのであれば、それを他者に対して公表していいのかどうか、今一度考え、その影響を想像するアタマの持ち主であらねばならない。当然だが、データの公表に関しても同じで、第三者の証言が信用できないからと言って省略したり、自分の思い通りの結果になるまでサンプルの数値を弄ったりするのは、言語道断。しかし…それでも信用できないのであれば、自らの体験談を話すだけでなく、他の体験談を見聞し、“生の情報”を流せば良い…但し、体験の内容には個人差がある事を忘れてはいけない。この“個人差”を無視して、さらに、他に考えられる要因を無視して、自分の目的のみを、しかも一方的に叫び続けるのは、他者のみならず、自身に縁する者全てから、今まで築き上げた信用を、一瞬で失う事になる。そして、本当に信用できるのであれば、その“裏”をキチンと取るべきである…何度も言うが、データとは、過去の経験値であって、現在を知る手掛かりであるが故に、そこを捏造すると、必ず辻褄が合わなくなる。さて…あなたにとって、一番“信頼”できる情報源は、どこですか?