迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

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民あっての国…

タイトルの言葉を鎌倉時代に叫んだのは、日蓮である。当然だが、日蓮の宗派に属する者であれば、これが何を意味するか、イヤというほど実感してる事ではなかろうか?台湾の騒動も、結局は為政者が“民衆の声”を無視したからこそであり、為政者は民衆が怖いから嘘を付く…それによって、本当の幸福が遠退くのであれば、誰が悪い?

日蓮は、国家諫行を行う為に、十問九答の説法論文“立正安国論”を認(したた)めてる訳だが、その“原文”には、国構えに“民”と書いて“くに”と表記している。つまり、国家の存在とは、あくまで民衆あってこそであり、民衆の為に如何なる舵取りをすべきか、その責任を担う事が為政者の価値を決める基本である。古代史において、仁徳天皇が民衆から支持された背景には、貧困に喘ぐ民衆に対し、公共事業を停止する代わりに年貢を免除した事にあったとされる…これって、現代社会でやるには結構難しい話であって、消費税や所得税等を廃止する代わりに、公的機関としての学校運営やインフラ整備等を行わないと言えば、どれだけの民衆が納得するか?まして、災害からの復興を切り上げて、且つ、除染もやらずに、原発廃炉作業もやめると言ったら、どんだけの東北人が激怒すると思う?だけど、仁徳天皇は、民衆の復興を支援する“方法”として、敢えてそれをやった訳である。じゃ、インフラとかはどうすれば良いか?その答えは、近代史において、大阪の富豪達の行動がヒントになる。米相場等で得た富を、明治政府に金銭で納付するよりも、主要道路の整備や公共施設を建設して、それを自治体に“寄贈”した訳である。アメリカでは今でも、富裕層に対しての“減免措置”として、福祉活動を基本とする財団法人を設置する事が認められている…つまり、医療機関がぼったくる…もとい、法外な医療費を支払えない人々を救済する為に、保険会社や社団法人が建替えるのである。(この仕組みを取り入れろとTPP交渉でアメリカ政府が言ってるから、日本をはじめとする社会保障制度を用いてる国々から“はぁ?”と言われる訳なんだが…)

“民あっての国”と言ってる以上、民主主義を掲げてる国では、民衆…富裕層と貧困層が、立場を越えて協力し合って社会を支え合う仕組みを構築してこそであり、その為の“教育”を施すのが民主国家での“大人の義務”である…にも拘らず、それをやってる民主主義国家は、どこにあるだろうか?北欧の福祉国家スウェーデンでは、高額な税金が課される反面、医療費と教育費は、その税収で全て賄われる為に、原則国民負担はない。だけど、その為の考え方を、子供の内にやっておかないといけないから、教育機関では、そこんトコの仕組みを徹底して教えていく。これが、高額納税に対して不満を言わない国民を作る基礎である。逆を言えば、社会保障が充実してるからこそ、若年層が海外へ行く事はおろか、国内旅行すらできないという“現実”があり、自由に使える財産がないからこそ、それを補填する為に国として動く仕組みがある訳である。それを知らずに誉め讃えるのであれば、それこそ、表面上の“理想”でしかない。

どんな社会構成も、全ては“民の幸せ”を願って、しかも何世代にも渡って、作り上げたモノであって、その“歴史”を否定して、まったく新しい社会制度を取り入れて、あるいは作ろうとしても、基盤そのものが過去からの“常識”である以上、反発があって当たり前であり、スムーズに社会構成を変更できたとしても、それは“世代交代”を常に意識してやってきたからこその話。白人至上主義な世界を構築していった弊害として、黒人や有色人種が、いつまでも“奴隷”であるべきという概念が残ってしまい、それ故の人種差別が頻発するのは、当たり前過ぎる話であり、それを変えていこうと思うのであれば、その“過去”を清算するには、どうすれば良いか、考えなければいけないし、それ故の反発から、危害を受ける事もある。その時に、自分の命と引き換えに、自身が掲げる“未来”への展望を示し続ける度胸がなければ、それらは“絵に描いた餅”である。だから、臆病になってニートになるか、それとも自己犠牲を厭わないか…それによって、本当に社会を変革する力になる。それがわからない以上は、上辺の情報に惑わされ、感情論のみで,過去の過ちを繰り返す事になる。