迷馬の隠れ家〜裏別館〜

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の気まぐれBlogですwこちらは、雑記専用となっております…

仏法用語を身近にする豆知識・その1…正法・像法・末法とは?

宗教…特に仏法に関する用語は、日常でも使える言葉と、そうじゃない言葉がある。ま、時代的背景にもよる訳だし、表現として不適切な部分も多々ある訳なんだが…今回は、仏法を齧った程度の知識しかない人でも理解可能な言葉として、“正法・像法・末法”という言葉の話。これ、何も仏法だけの言葉じゃなくって、広義的な使い方をすれば、歴史認識のズレは何故起こるのかという、基本的な疑問の解答にもなる、まさしく“魔法の言葉”なのです。

まず、仏法用語における“正法時代”とは、釈尊在世の時であり、釈尊から直々に口伝された教えを忠実に実践していった時代…つまり、釈尊が後世に伝えたかった、仏法の本来の哲学と、それに伴う実践的な教えを、忠実に守る事ができる時代を指し、その功徳により、多くの民が救われた…とされる。で、“像法時代”とは、それらの修行法が形骸化し、少しずつ時代にそぐわない形式へと変化する時代である。つまり、“釈尊の弟子”から又聞きで仏法が広まる時代であり、布教の際の実践者の感情移入が入り交じって、真実がぼやけ出す状況…と言って良いだろう。そして“末法時代”とは、儀式・儀礼としての修業や、記録そのものは残ってても、それが事実なのかどうか、検証するにしても資料不足だったり、本来の意味から完全に逸脱した概念によって歪められた状態を指す。ぶっちゃけ論で言えば、日本の“仏教”と称する殆どが、僧侶の“特殊技能”という概念が植え付けられた状態である様に、時代の変化によって、本質的な部分がすっぽ抜けて、いわゆる呪術的な如何わしい儀式や行動に重点に置いてしまってオカルトな方へ傾いた姿は、もはや宗教の定を成していない…という事になるw

つまり、これを実生活の部分で当てはめると、“正法”とは、リアルな体験をしてる者であり、その人が残した記録や経験談は、非常に重要な話である。が、それをキチンと理解し、後世に伝えようとすると、理解に苦しむのは当然ともいえる訳である。で、“像法”とは、経験者から聞いた話を、何らかのカタチで纏めようと躍起になるのは良いんだが、経験者本人ではないから、どうしても自分の解り易い例えや、他の事案を混ぜ込んだ状態で解説しようとなるんで、余計に訳がわからん様になる。で、“末法”とは、完全に真実が歪められた挙げ句、どうでもいい話だけが、いかにも“真実”の様に語られてしまって、誤解や曲解がまかり通ってしまう状況と言って良いだろう。

具体的な事を言えば、来年で阪神淡路大震災から20年の節目になる訳だが、当時、神戸市内…しかも長田区や東灘区等の被災地で生活してた者にとっては、忘れたくても忘れられない経験であり、中には、住居が全壊して家族を失った人や、仕事先が無くなって兵庫県外へ移住せざる得なかった人もいる。そういう人達が、当時を振り返って話す事があれば、それは体験に基づく“事実”であり、当事者以外にはわかりにくい事である。で、その“経験談”を後世に伝えたいと聞き耳を立てる人々の中には、どうやって伝えるべきかで悩んだ末に、児童小説や絵本という形式で当時を書き残す作家がいれば、歌や楽曲として広めようと躍起になる歌手や作曲家がいる訳で、そして、郷土史として記録を文字に起こしたり、写真を残そうとする学者や写真家、報道関係者がいる訳なんだが、どうしても断片的になり過ぎて、何を伝えたかったのか、理解し難くなってくる。そして、あの震災の後に生まれた子供達や、復興の途中で神戸市内へ移住した者にとっては、むしろそれは“絵空事”でしかない様な感覚であり、その経験や歴史を学ぼうと思っても、結局は上辺の情報だけの話になってしまう…というジレンマに陥る。この“時間経過”こそ、仏法における“正法・像法・末法”の流れと符合する訳であり、同じ事を言えば、つい最近、甲信・関東の一部地域で起きた異常豪雪も、現場の住民にとっては命に関わる事であっても、元々豪雪地として名高い新潟県や東北の日本海側、北海道の内陸部等に住んでる者にとっては“冬場の日常”であり、また、雪の少ない都市部や、危機管理がしっかりしている自治体に住んでるモンにとっては、まさに“蚊帳の外”である。言い方を変えれば、今までの常識が覆された者にとって、それがどんだけの苦労や経験だったかを話したとしても、同じ感覚を体験した事がない人には通じないどころか、むしろ“妄語”でしかない。当然だが、想像力が欠如してる人に詳細を説明しても、その話を信じられる訳がない。

こういった事を踏まえると、決して、仏法用語だからと言っても、世間とリンクしていない訳がない。だからこそ、日々刻々と変わる情勢を精査し、その“原因”をキチンと理解できて、初めて意味が通じる訳なのです。さて…あなたは、今まで学んできた事のうち、“真実”として語られた他人の経験談を、いくつ信じていますか?