迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

カルトに走る真理とは…

以前、Twitterの方で、何故今でも若者が、カルトな宗教団体へ入りたがるのかわからない…という話があったんで、少し説明したんだが、根本的な話,人間は誰でも、自分の価値を“誰かに認められたい”と思う気持ちを抱えている。しかも、それが自分にとって“都合のいい”結果ばかりを求めている訳であり、そこんトコに盲目になってしまうと、その評価が正当なモノであっても、自分の気分ひとつで“気に喰わない”あるいは“なんでやねん”となってしまう訳である。この部分を指摘する宗教哲学はごまんとあるが、真の意味での“正当な評価”を下せるのは、どこまでいっても“第三者”であって、当事者…つまり、評価をする者とされる者の間には、不思議な関係が構築され、それが崩れない以上、評価する者を信じてる者は、他者の意見を蚊帳の外へと追いやってしまう訳であり、また、その評価に付け上がって調子に乗ってる者を支援する者も、裏切られたと勘違いして暴力を振るわれる事を恐れて、嘘を付き続けざる得なくなる事になる。

オウム真理教関連の事件の背景にあるのも、実はこういった部分を悪用した結果であり、巷を騒がせている某クラシック作曲家の“ゴーストライター騒動”の背景も、実はよく似た形式の“心の闇”が介在している。つまり、やった人間にしてみれば、世間一般から“自分はエラい”という評価が欲しくて、そしてその為の技能や知識を認めて欲しくて事を起こしてる訳であり、そこに拘るあまりに、周囲の“真の評価”が信じられなくなっていった…という訳である。言い方を変えれば、アドルフ=ヒトラーが何故“独裁者”になったかと言えば、批判した者を見返す為にやった行為が、たまたま、多くの民衆が抱える“心の闇”とリンクした事によって、そして、それをいつしか正当化しようと他者を排除していった結果、ドイツは長い間、東西に分裂するハメになった訳である。逆に、もしも“正しい評価”を受け入れられる程の成熟した人間であったならば、誰一人としてここまでバカげた事を繰り返す事はない訳であり、体裁に捉われるあまりに、誰一人として時代の変革を求めようと思わず、ただ朽ち老いるだけである。

オイラのイラストが、いろんな人に認められ、気に入ってもらえる事は嬉しいけど、そこで浮かれてる様では、それで飯喰ってるプロの方々に失礼な話であり、逆に、肖像権がどうのとか、乳幼児以下の駄作だとなじられるのであれば、とっくの昔にイラストを描く事が嫌いになっている。自分が好きでやってる事を、ボロクソに貶すのは、同じ立場の者がやるならまだしも、そうじゃない者が何も知らずに、批判だけしか言わないのであれば、それはとても悲しい事…本当にその価値を知ってる人だけがわかる感覚を、他者が理解する事程、非常に難しい事はないからであり、初心者だからこそわからないのであれば、それを理解できる様に学ぶ事も必要だから訊ねたのに、その問いに対して“門前払い”する様では、理解も何もできない。韓国の外交で日本をボロカスに言い続ける背景には、彼等の親世代が“日本人教師”から習った“歪んだ歴史観”が、そのまま引き継がれてしまった事を、日本人自身が悟らなければならない訳であり、また、それを口実に傍若無人な態度を取り続ける者を窘める程の教養とユーモアがなければ、そのカルトな感覚を瓦解させる事はできない。

話があらぬ方へ向かったが、要するに、“誰かに認められたい”“誰かに褒められたい”と思うあまりに、その努力の方向性を間違えるから批判されるのに、それが“わからない”のは,それだけ世間との感覚のズレが酷くなっている証拠であり、今の橋下大阪市長の態度に対する大阪市議会の反応も、仲間内である維新の会以外は“無視”する姿勢になっているのも、そういう事である。つまり、自分の世界に閉じ篭ってしまっている事に、大阪市民と市議、そして役人どもは気付いていて,折角手を差し伸べたのに、それを振り払ってしまっているから、余計にややこしい事をやってしまってるのに、当の本人が気付いていない時点で、“ヒトラーの轍”を践んでいるのと同じなのであり、自分自身でそれに気付いた時、立ち戻るべき場所が見当たらなくて、途方に暮れる事になる…独裁者の末路は、いつでも自分自身を見失い、それ故に勝手に絶望する訳であり、それに対して手を差し伸べて救わんとすると、必ずその手を振り払い、意地を張り、そして自滅する。これが、カルトな感覚の持ち主にある“精神的な引き篭もり”の感覚なのです。臆病者程,強がるモノなのです。これが“宗教”というカタチになると、もっと盲目的になる…かつての宗教弾圧の類も、実はこの真理に基づいた行動であり、故に他者を批判して信徒を奪い合う…という“本末転倒”な方向へ行く訳です。批判を恐れない…だけど、真摯に受け止めて、より良き方へと精進する事こそ、世間に変革をもたらす知恵と勇気を生み出す原動力になるのです。