迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

差別の果てにあるモノ…

今、とある脱北者の体験談が、ドキュメンタリー映画や本になって出回っている。詳しい内容はともかく、オイラ的ひねくれ感覚でこれを推考すると、ふたつの“皮肉”を感じざる得なかった。ひとつは、その脱北者は、自分の密告が因で親族が処刑されているのに、自分自身は脱北を果たしている事、もうひとつは、“生まれながらの囚人”って感覚が、あまりにも古典的だという事である。前者に関してはここでは触れないが、後者の感覚…生まれながらにして階級が既に決まっている事については、これは他人に言えた義理でない地域はごまんとある。言わずもがな、日本も、アイヌ民族琉球民族に対して、つい最近まで、不当なまでの“階級差別”があった…では、何故こんな事が繰り返されるのか?

一言でいえば、以前にも書いた“歪んだ正義”に繋がる事だが、理想ばかりを追い求めた結果、他者を“排除”する方向へ思考が偏る事で、その“理想”を叶える為の“生贄”を、自分がウザいと思う者に擦り付けているからである。この図式、実は古代から続く因縁であり、これが、基本的人権を脅かすと同時に存在する“共栄共存”の“黒歴史”なのである。何故って?どこの地域の古代史を繙いても、現在に至るまでの経緯で、どうしても“謎”になる部分があり、そこに、実は今日まで続く“人的差別”の変遷がある訳です。

日本史を習う時でも、必ず引っ掛かるのは、大和王朝…即ち古代天皇制に至る変遷であり、弥生時代奈良時代が、必ずひとつにリンクしてるとは限らないのです。もうひとつ、日本の地理学…特に関西の地名の由来や、集落の変遷を辿ると、必ずしもそこに最初から集落があったとは限らないケースが多々あり、そのきっかけが天災(震災や水害等)だけでなく、戦乱によるケースもあるからです。もっとも、太平洋戦争の前と後では、区画整備の加減もあって、一概には言えないトコもある訳ですが…w

島根沖にある竹島に関して言えば、アレを韓国政府が言う様な“独島(ドッコ)”であるのならば、その位置関係がおかしい訳で、日本海を“東海(トンヘ)”としてる時点で地理的に無理があります。何故なら、本当にそれが“独島”だとすれば、面積そのものが狭過ぎるのです。そう、もしも“独島”だと主張するのであれば、本来ならそれは、日本列島全域を指すべきでしょう。そうすれば、太平洋も“東海”で通用する訳ですw でも、そうしていない時点で、韓国人は気付くべきです…韓国政府は長い間、日本の“存在”を維持する為に、国民に対して“嘘”をつき続けなければならない宿命にあると。

閑話休題、階級が“生まれながらにして”という時点で、何かに気付きませんか?そう、インドのカースト制度やムスリムの戒律にも、よく似た事情があると推測する事が可能なのです。特に、インドのカースト制(ジャーティ)は、バラモン(最上位の者…大概は僧侶であったり、呪術師だったりする)に対しては絶対服従であり、クシャトリア(王族)であれ、ヴァイシャ(平民)、スードラ(奴隷)であれ、ましてアチュート(戒律に属さない…てか、いわゆる異邦人)ですら、階級的に逆らう事はできないとされる訳だが、そもそもの根幹的な事を言えば、民族抗争の果てに構築された共存法であり、役割を明確にする事で、職に困らないルールを作り上げた訳である。とはいえ、その根幹的意義を歪めたバカがいたから、民族差別の象徴の様に叩かれた訳であり、それが生まれた背景を考えた時、今日にも繋がる人種差別の根幹は、“隔離と共存”のあり方であり、それは南アフリカアパルトヘイト(人種隔離政策)や、件の脱北者の体験と繋がっている部分なのです。

そう、ちょっとした犯罪でも強制収容所へ送り込まれ、釈放される様な模範囚になれたとしても、その先にある“前科者”としての扱いが、こういった事に類似してくる訳です。日本でも、強盗や窃盗等で前科があると、それが因で服役後の社会復帰ができずに再犯を起こす…これを防ごうと思えば、北朝鮮がやっている行為は、古の習わしを繰り返してる“理由”を知るきっかけになる訳であり、それをやってはいけないと思うのであれば、更生を手伝う意味でも、刑務所出所者を、潤滑に社会へ受け入れる仕組みが必要になってきます。が、SNSで飛び交っている言葉を聞く限り、日本では北朝鮮やインドを笑えた義理ではありませんし、まだまだ人間として“幼い”としか言えません。ただ…被害者の心情を考えると、“罪人は全て死刑にすべき”という概念を、第三者がどう抑え込めるか…その結論を出せないからこそ、こうなるのかもしれません。