迷馬の隠れ家〜別館:ブルマガバックナンバー〜

こちらは、2019年まで展開していた“ニコニコブロマガ”の保管庫です。

組織の闇…

先にご報告…本家でも記述した通り、この更新をもって、また放牧っす。いやね、右眼を庇うあまりに、左眼まで厄介な状態になってしまい、正直、失明寸前なんっす。ま、それをなんとか食い止めるべく、ちょっと手術受けてきます。ただでさえ、バランス悪い見え方してるんで、この際、きちんと治そうって訳で…(ry




先週、緑茶…もとい、グリーンチャンネルの某番組で、馬主協会の会長を騙る輩が、今シーズンからのか番組改正は、自分の手柄といわんがばかりの発言を受け、SNS競馬ファンから反感を買ってる訳だが、どうも競馬以外の部分でも、岩手県だけじゃなく、東北6県の行政は、ごく一部で勘違いしてるバカが、県政を牛耳ってるフシがある。今回はとりあえず、競馬関連を中心にやるが、行政に限らず、自分の“立ち位置”を弁えずに暴言吐くバカは、正直、認知症の高齢者以上に厄介&腹立たしい。こういう人がいる“だけ”で、組織がボロカスにいわれるのは、正直辛いし、悔しい。



これは何も、岩手県に限った話ではなく、いかなる組織でもあり得る話であり、故に、その悪習が連綿と、しかも表裏関係なく存在するから厄介なのである…理由として、公表することによって受けた悪評を払拭しても、その手柄は、当座の者…即ち、その事柄の当事者ではなく、現時点での責任者のモノになるからであり、仮に一般大衆に公表されることなく事が進んだとしても、罰せられるのも現役に言及され、“真犯人”そのものは安穏なまま逃げ果せる訳である。だからこそ、ドラマや舞台劇では、その“闇”を払う内容の物語ほど人気が高く、類似の物語が次々と描かれやすいのが、日本の芸事では“お約束”な話って訳である。

閑話休題、この“闇”の部分は、“恥”として葬り去るか、“悪”として潰すかで結論は大きく変わる。前者は教訓として史実に残ることもあるが、後者は完全に致命傷であり、組織が崩壊する直接の原因となる。言い方を変えれば、自分達でどうにかしようとして水面下でやってた事が結果的に民衆に迷惑をかけたと“自覚”があるから恥となり、自分ではどうにもならないことを、手柄欲しさに欲張った挙句失敗し、その“責任”を他人のせいにする上に、懲りないどころか更に繰り返すのが“悪”である。ただ…あくまでそれは公表された部分での善悪の話であり、“知らぬが仏”な一面もある。つまり、結果的に成功を収めてる人の多くは、煌びやかな経歴の裏で、人知れぬ秘密を抱えていて、その中には、とてもじゃないが褒められたモンじゃない様な案件も含まれている。

要は、自分自身の思い通りにならないのを“他人のせい”にして、様々な協力を仰いでおきながら、成功事案を“自分一人の手柄”にしたがる人程、実は世間知らずであり、単純に精神年齢が乳幼児以下である。共産系左派に多い傾向で、“ボクノカンガエタキュウサイアンコソタダシイ”で凝り固まるあまり、“自分”と“他人”の関係性を無視して正義を唱えようとする。だが、いかなる組織にも、そういう“おバカ”は最低一人いるモンで、それがどの“立ち位置”と“肩書き”を持っているかで、組織全体の命運が決まる事が多い。つまり…一番タチが悪いのが、組織の頂点にいる場合であり、ブラックな体質の組織は大方この傾向にある。但し、創立者や創業者といった人はそれでも、なんだかんだで人付き合いを学び、分相応に責任を負う自覚を持って組織運営に当たるのだが、そこから代を経ると、自分の立場が“単なる神輿”である事を嫌って“革命”を唱えて、幕下に無理難題を吹っ掛ける訳である。





まぁ…手柄はいくらでもくれてやればいい。そこに伴う責任まで背負えるのであれば、いくらでも暴君になっても構わないが、真の“暴君”ってのは、自分自身の“大切なモノ”を奪われると、途端に弱腰になって逃げ回るぐらいみっともない存在である。元から弱腰な人間はいない…様々な経験と、他人からの賞賛を勘違いして自惚れるからこそ、その地位や肩書きを奪われるのが怖くて、臆病になるからこそ、他人を卑下してしがみ付くんです…その“肩書き”に、何の価値もないのに。


軽種と重種の“違い”ってわかります?

帯広市内中心部で、現在、“馬車BAR”なるモノが期間・日時限定で運行してるそうで、観光客とかには好評とのこと…そもそもは、ばんえい競馬のPRも兼ねてやっているとのことで、馬車を牽引してるのも、ばんえい競馬で実際に活躍してた重種馬(馬体からして、恐らくは半血種)である。しかし、SNS上では“馬車馬可哀想”という意見が散見される。あの…普通の競走馬や乗用馬(サラブレッドやアラブ等)だったらわかるが、大型の馬車を牽引する馬は、クライスデールやシャイヤー、ペルシュロンといった、馬体重が1t以上にもなるような大型種…畜産用語で“重種馬”に分類される品種は、ニュース映像程度のモノだと、1頭牽引でも余裕なんですけど…w


以前にも解説したかとは思うんだが、いわゆる“馬車馬”になる品種は、貨物輸送がメインだと大型種が一般的で、軽種馬サラブレッドやアラブ、アハルテケ等の馬体重が500kg前後の品種は、そもそも馬車の牽引には向かない。本来の活用形態としては、バイクと同じだ。また、食用に向いてるのが重種馬であり、もともと、十勝地方の馬産は食肉用重種馬がメインだったのを、北海道開拓の象徴として“輓馬文化”を残そう…ってことで、岩見沢や北見、旭川と一緒になってやってたんが、世界で、おそらく唯一の“牽引競馬”である“ばんえい競馬”であり、経営難で他場が撤退する中、唯一残ったのが帯広競馬場だっただけの話である。言い方を変えると、ばんえい競馬のある種の“馬産地競馬”なのである。


もちろん、サラブレッドやアラブといった軽種馬でも馬車を牽引すること自体、調教次第ではできなくはないが、牽引は重種馬に比べると非力である。故に、軽種馬が牽引する馬車は4頭以上の“多頭立て”になりやすく、宮内庁で使用されているお召し馬車(大使伝達式等で使用されるアレ)も、那須の御用牧場で飼育されてるアングロアラブを馬車牽引用として調教してあるモノである。貨物輸送ではなく、旅客輸送で高速移動の手立てとして使うための多頭立てであり、馬術競技にも4頭立て馬車によるハンドリング競技がある。実は、多頭立て馬車の方が操作技術的に難易度が高く、熟練された腕でないと、速度調整もできない代物になる。だから、馬車の運用は基本、1頭牽引の方が扱いやすく、観光農園やテーマパーク(ハウステンボス明治村ノーザンホースパークなど)、一部の競馬場で運用される馬車の多くが1頭での牽引なのは、車両重量が軽いのはともかく、操作が安易であることが大きいのである。また、使用する馬の品種も、先述どおり、重種馬であることが多いのは、速度を必要としない運用であるからだ。


あ、ちなみに…ポニーでも馬車を牽引する場合があるのだが、運用としては農家のトラクターヘッド(耕作機牽引のアレ)同様に、鍬や牧草フォーク等の機材の運搬が基本であり、旅客輸送には向いてない。馬体重もサラブレッドと比較したら更に小さい(ミニチュアポニーだと、100kgが関の山…)から、同じ“1馬力”といっても、ペルシュロンと比較したら非力なモンである。



つまらないの“正体”

SNSで散見される、外国人騎手…てか、デムルメがGⅠ荒らしをやってる事に対する批判、それプラスでよくある“社台系の運動会”という揶揄…ここの部分に関して言えば、正直な話、オイラ的には“ファンが望んだ夢”の“答え”であり、僻みにしか聞こえない。確かに、今から30年ぐらい前の競馬は、今よりも個性派が多かったこともあって、アーカイブで見る分には面白そうかもしれないが、当時を実体験してる身からすれば、今の方が圧倒的に洗練されて、かつ、環境的に競馬に集中しやすいと…と思う。それだけ日本でも競馬文化が成熟したことを意味するし、オイラは良い事だと考える。でも、“面白くない”とか“つまらない”という意見があるのはなぜか?


その背景にあるモノ…つまり、“つまらない”という感覚の“正体”は、今の“快適な環境”に慣れすぎたといいう部分と、苦労することの“楽しさ”を覚えたからこその苦言である。前者はブラッック上司の体質と一緒で、後者はなんで戦争系のゲームや物語が後を絶えないかという部分の答えになる。要は嫉妬からくる僻みが、純粋に“競馬を楽しむ”という感覚から遠ざける要因になってるという訳だ。

以前にも散々書いたが、今日の日本の競馬事情が世界でも通用するようになったのは、それまで“血統の墓場”と揶揄される程劣悪だった状況を打破するために、社台グループが躍起になって馬産地改革を進めた事に対し、当の馬産地である北海道日高地方をはじめ、主に本土(特に東北地方)の牧場経営者は、ハナで嘲笑いバカにして、単純に競走成績…しかも中央競馬での中・長距離内国産血統にしか興味を示さなかった。また、内国産種牡馬の保護と推進を是とする政策として、所謂“マル父ボーナス”制度というルールが存在してて、それを理由に中小零細の家族経営牧場は、高価な外来種牡馬よりそっちを好んで選んだ訳である。その結果、社台グループ以外の名門牧場の多くが倒産や廃業となった訳であり、その下請けだった牧場も、次々と潰れた訳である。生き残ったトコでも、その多くは繁殖から育成までの一貫経営をやめ、繁殖のみの経営に切り替えた訳である。

社台ファームをバカにする割に、これが繁殖に関しては、多くの馬主が賞金収入に拘るあまり、血統よりも成績を重んじた結果、今以上に特定の血統のみに偏る状況に陥った…しかも多くが、ノーザンテースト産駒の繁殖牝系ばっかになったため、アウトブリート血統を探すのが、国内では困難を極めた。現在でもサンデーサイレンス産駒牝系が殆どの為、サンデー系牡馬の重賞ウィナーでも種牡馬になれないケースが頻発してる訳で、アウトブリート系の繁殖馬を求めても、その殆どが社台グループの系列牧場に集約されている為、結局馬産地で、社台グループを相手に喧嘩する行為は、ある意味で“自殺行為”に近い状態になっている訳である。

昔の競馬は、良くも悪くも“畜産振興と保護”が前提にあって、そこに基づいた保護政策の一環として内国産種牡馬ボーナスや市場取引馬ボーナスが設定されていたが、それでも庭先取引が一般的だったのは、馬産地自身が政府の方針や農水省の指導を無視した方が、経営的に“安定”するからという部分が大きかった。これは家族経営な農家全般に言えた話だが、いくら防疫対策しろと言っても、そこにかかる経費負担が重荷になることもあって、国や自治体から助成金がないと、なかなかやらないのが実情である…6次産業化を行うにしろ、初期投資が邪魔臭いのと、家族以外の“余所者”を農地に入れること自体嫌う傾向があるため、元から大手なトコ以外では、なかなか浸透しないでいる訳である。当然だが、農協に対して金銭的な不満がある農家もあって、ワザと農協から供給される肥料や農薬を使わず、ホムセンや種苗店から格安のモノを購入することがある。(但し、自家栽培用の野菜名目なんで、一般の市場出荷用ではないが…w)

つまりは、かつての“ジャイアントキリング”を目の当たりにしたいと思う人にとっちゃ、社台グループの隆盛は腹立たしいし、“日本在籍騎手”といえど、C.ルメール騎手やM.デムーロ騎手がGⅠ戦線でバカスコ勝つのも鬱陶しく感じる訳である。しかし…少し視点を変えて様子を見れば、海外で“確実に勝てる”手段を考えると、欧州での騎乗経験がモノをいう時点でルメデムに依頼が殺到するのは仕方ないし、血統的な閉塞感をどうにかするには、ノースヒルズ岡田総帥率いるビッグレッドだけでは力不足なのは否めない。まして、かつての大物馬主も高齢化で世代交代や税制対策で法人化してる昨今、“現場の人間を育成する”という観点で出資する酔狂な個人馬主は、新規では皆無に等しい。さらに、地方競馬も売上の多くがネット投票によるモノだったり、中央との交流でJRA在籍馬が出走するといった話題性に頼ってるトコがあって、それこそ、コスモバルクライデンリーダーといった中央の馬場(しかも芝コース)で大暴れした地方馬がいない時点でお察しである。(ダートだと、メイセイオペラフェブラリーS制してるし、現役だと、カツゲキキトキトとかベンテンコゾウ、キタサンミカヅキ等、地方ダートでそこそこ強いのはいるが…)

高知競馬でハルウララが一時、注目を集めてたが、その“愛され方”を考えると、競走成績“だけ”見たら“ダメ馬”でも、地元のファンに愛されたことで却って“有名馬”になったのは、地元メディアが積極的になって地域だけじゃなく、全国の競馬ファンまで巻き込んで盛り上げたからこその話であり、こないだの福永洋一記念で草野仁アナが来場し、ただでさえ祝賀ムード(去年のダービーで息子である祐一騎手が、福永毛の宿願を果たした為)がさらに盛り上がったという状況は、まさにバタフライエフェクト…廃止寸前まで追い込まれた一しがない地方の競馬場が
、ここまで息を吹き返したのは奇跡の域である。これを“体験したい”と思うから、逆にそれが“普通”になってしまうと、感情的に興味が薄れる訳である。




つまり、“つまらない”の真の“正体”は、そこに行き当たるまでの苦労や困難を“経験したい”と思う反面、失敗や衰亡の危機を恐れるあまりに“挑み続ける”事を拒んだ者の僻みである…ダラダラな人生も大いに結構だが、そこに至るまでにどれだけの犠牲と、どれだけの重責を担って達成したかを踏まえて考えれば、批判の多くは、“他人事故の批判”でしかない。そこんトコを理解しろとは、オイラ自身は言わない。ただ…自分自身もそうやって批判され、他人に夢を踏み躙られ潰されながらも今日までのうのうとやってこれてる訳だし、やっかみいっても“自分じゃできん”事やってのけた人をバカにする事自体、惨めなだけだ。“つまらん”と思った時点で、黙ってその場から立ち去ればいいだけであり、本音はどこかで構って欲しいからこそ、成功者をバカにして自分と“同類”にしたいだけです。不平等?大いに結構…自分と他人じゃ“違って”当然。その“違い”をもって支え合うのが社会なんだから、できるヤツにできることは任せ、こっちは自分の“できること”に集中しましょw



設備投資と競馬の話…

令和と改元になって早々に、なんかユルいネタではあるが、大型連休に伴う開催は、まさに掻き入れ期である。故に、中央地方関係なく、重賞競走の開催が集中したり、競馬場内のイベントも、主に家族連れを想定したモノが目立つ訳である。また、今年は最大で10連休って人も多いから、プチ帰省と洒落込んで旅打ちに出てる人も…w


では、この時期に大掛かりなイベントが立て続けに集中するかって言えば、こういう時期でないと、地方だと集客が見込めないってことと、中央の場合は日程的に“厳しい”ってことがある…特に東京競馬場の場合、所在地の府中市では、大國魂神社例大祭である“くらがり祭”の開催があって、時間帯によっては交通規制がかかる関係で、かつては大祭施行日は、開催を控えたモノである。

地方競馬中央競馬の開催がバッテイグすると、日程によっては交流重賞を組めなくなる…昔はむしろ、中央地方の交流戦を組むこと自体なかったこともあって、ワザと日程をバッテングさせて競馬ファンの取り合いをやてったモノだが、流石に今は来場者よりもネット投票による馬券発売が主体とあって、レースそのものに関しての売上はともかく、いかに競馬場へ足を運んでくれるかに焦点を絞った戦略が課題になっっている。人気コンテンツとのコラボ企画もそうだが、それ以上に来場者対象のイベントに関して、どこに力点を置くかで、各地苦慮してることが窺い知れる訳で、特に家族連れとなれば、必然的に小学生以下の児童対象のイベントは、キャラクターショーやグリーディングが目玉になりやすく、それプラスで何をやるかで頭が痛い思いをする訳である。中央の場合は競馬場自体の敷地が大きいから、“ふれあい動物園”と称して、ポニー乗馬や給餌体験などを実施する事もあるが、地方は場所によっては、場内の混雑回避を理由に、実施できないトコも多い。


公営競技は総じて、同伴の子供をどうするかっていう部分は、意外と疎かになりやすい課題なのだが、今までが“鉄火場”という意識の下で“男性就労者”以外来場しないという想定で場内施設を整備してきた歴史的な問題があって、昨今の環境変化について来れていない事情は、全国的に見られる傾向である。ただ、中央競馬がここまで大衆化するには、分相応の設備改善をやってきたからこその話であり、いくら武豊騎手的場文男騎手が世界中で活躍しようが、オグリキャップやアーモンドアイが話題になろうが、興味が湧いていざ競馬場へ行ったら、薄汚い…いかにも不健康な雰囲気の場であったら、並の女性なら敬遠してしまうのがオチである。(オイラが競馬を始めた頃は、ガチでえげつないぐらいに雰囲気が…特にウインズ難波w)


そういった意味では、環境改善による集客力向上は、あながち侮れない部分であり、これにプラスして魅力的な注目馬が出走したら、更に盛り上がるように思いがちだが、実はライトユーザーがリピーターになるかどうかは、女性や子供が雰囲気を“気にいるか”どうかにかかってるのであって、目の前で名勝負が繰り広げられても、関心が向かなかったらそれまでなのである…だからこそ、場内設備が更新される度に“古き良き鉄火場”という姿が消えつつある訳であり、快適な環境が整った競馬場ほど、連休中でも大盛況になるのです。そんな、基本的な設備投資もせずに経営改善ができた公営競技って、どこにあります?


イベントに関してもそうなんだが、来客者を甘く見てると、常連ですら足が遠のく訳で、ここを理解せずにイベント企画会社に忖度したモノをいくら用意しても、費用対効果は薄いだけで、却ってファンを減らす事に繋がりかねない。大々的に広告を行って集客をやる分には良いが、肝心な中身がショボいと、以後、ファンも“こんな程度か”って事で、相手にしなくなる。特に子供の判断は常に冷徹で、公式ゆるキャラのグリーディングでも、そのパフォーマンスが子供心に“面白くない”となると、次回以降は近づくことすらしなくなる。ま、中には躾ができてない問題児もいて、いわゆる“中の人”は大変ではあろうが、基本的に、子供が“楽しい”と感じるか否かは、総じて自分から“また行きたい”と言うかどうかである。親に付き合わされて嫌々連れられてきて、“楽しい”と思える事は稀であり、だから子育てにおいて外出時に苦労する人が多いだろうが、根本的な事をいえば、自分自身の幼少期を思い出して、自分の親が“どんな事をした”かを考えると、自ずと見えてくる…そういう“家族の過ごし方”の経験が薄いから、いざ、自分が親として子供に接するべきかが“解らん”のであり、興味を示すための機会を、積極的に作っていく事で、競馬場で“遊ぶ”という選択肢も生まれる訳である。



傍にいる大人がやってる事を、“やってみたい”と関心を示して、初めて子供は大人の社会に付き合う事を学ぶ訳であり、その付き合いを幼少期に嫌ってたら、そりゃ、子育てに苦労しますって。なんせ、どうやって“他人に頼る”か、その術を知る余地がないから…


馬の安楽死と人間の終末医療の話…

シン(以下シ):競馬ファンの皆様、こんばんは…シンです。
オグりん(以下栗):ブルヒーン、オグりんだお。
ワ:えっと…Web上では初めまして。この一言で“生前さんが予測できた人…ご無沙汰してます、“YYOSHINO Blossom”…略して“ワイビー”です。
栗:んお、なんで昭和なサラリーマンがここにいるだお?
ワ:いやね…“生前さん”が結構な競馬バカで、ノブさんに誘われたんですよ。競馬の話題、扱ってみるかってw
シ:ま、まぁ…詳しい経緯とかは、今年の“Shin's Bar”でお伺いするとして、今回はこの3人(正確には2人と1頭ですが…w)でお届けします…

さて…今回は相次いで不慮の事故のニュースがありまして、それに関して、ちょっと考え方を変えてもらえるかどうかわかりませんが、人間の場合との比較で考察すべき点を取り上げたいと思います。

ワ:先週の天皇賞1週前追い切り中に、有力馬の一頭に挙げられていたシャケトラが故障し、安楽死処分となった件だね。
シ:それプラスで、4月1日にウオッカが、英国ニューマッケットで左後肢粉砕骨折からの蹄葉炎発症で予後不良となった件も…です。
ワ:え…ウオッカも。
栗:いずれの事案も、骨折が因で安楽死処分ってなってるだお。でも…なんで骨折すると“安楽死”なんだっていう意見が、SNSで散見されるけど、骨折の部位と程度にもよるだお。いずれの件も、重篤という判断からの措置だおね。
シ:もう少し正確なことを言えば、“自力歩行”ができるかどうかを踏まえると、それが“困難”と判断されたからってことです。
栗:そういや…ボクちんの“生前さん”も、放牧中の事故からそれで、ボクちんがここにいる事になったって訳だおね…w
ワ:それにしても、なんでそんな勘違いが頻発するんだろうね?
シ:事の根幹を質せば、人間と他の動物…殆んどの四足歩行を行う動物とでは、骨折部位による予後の状態が違うってことを、知らない人の方が多いからです。
栗:ご主人様の感覚で言えば、人間だとこの状況って、国指定の難病や脳疾患、癌の末期症状で、自力ではどうにもならない状態と一緒って…んお?ボクちん、なんか悪いこと言っただおか?
シ:いや…その例え持ち出されると、俺の“生前さん”が、ある意味最期がそうだったから…
ワ:確かに…他人事じゃないな、この例えで考えたら。
シ:気を取り直して…要するに、高齢者介護でもそうですが、いわゆる“終末医療”という部分で語ると、ほぼこの状況下にある親族と当人の立場って踏まえれば、何をもって“最善”とするかは、誰一人として“わからない”訳であり、どの選択肢を選んでも、最終的には心理的に深く傷付く事は避けられない話って事です。
栗:ボクちんら大型草食獣の場合、蹄動(ていどう)作用に重要な役割があって、1時間以上の散歩や放牧は、生命維持に必要な動作なんだお。歩く度に蹄が収縮を繰り返す事で、四肢の血流を維持できるんだお。でも…それをやりたくても蹄葉炎って病気になると、蹄の負荷がそのまま痛みとなって全身走るから、立ってるのも、動くことすらできなくなるだお…こうなっちゃうと、ただ単純に苦しいだけだお…
ワ:あ、そうか…人間は二足歩行だし、腕や脚が片方全損しても、義肢を付けたり、車椅子等のウェラブル機器を使えば動けるが、馬を含めた家畜の多くは四肢で自重を支えることから、小型・室内飼育が可能な猫や犬はともかく、殆どの場合は自立不能になるな。
シ:人間の場合は国や自治体で医療費の助成が受けられますが、動物は全額飼育者負担…経済的なことを言えば、最期まで面倒を見るという行為は、それだけの負担をできる人でなければ、動物を飼うという行為は、やってはいけないんだと思いますよ…もちろん、安易な気持ちで保健所に持って行って殺処分なんてのは、もってのほかですが。
ワ:そこだよね、殆どの人が一番混同してるトコであり、安易な殺処分や自殺幇助じゃないと説明しても、理解されない部分って。教育現場等でも、“命の尊厳”は守られるべきと教えるものの、本質的な意味での“尊厳”の中には、予後不良に伴う終末医療のあり方も、一つの課題として取り上げるべきであるにも関わらず、単なる延命措置のみを語ってる時点で、もうね…それは“違うだろ?”って話だね。
栗:ご主人様曰く“死は一定(いちじょう)”であって、誰も避けられない以上、いつかは“辛い決断”を強いられるって事だお。その一つの考えとして、治療の甲斐なく、ただ苦しむだけの最期であるならば、それを少しでも和らげる術として、安楽死(尊厳死)は一つの選択肢として、頭の片隅に留め置いてた方がいいと思うだお。本当に辛いのは、病床で痛みを堪えてる当人だお。看病する人や医療機関、多くの人々に“迷惑かけてる”って自覚があるから、余計に精神的に苦しくなるだお。
シ:そうですね…“迷惑をかけたくない”という気持ちが、却って自分の首を絞めてたのかも…
ワ:まぁ…それはそうだよね。安易に命を弄ぶ行為じゃなく、真剣に救済したい一心でやってる行為が、結果として悲劇しかないのであれば、いかに“後悔しない”で済む答えを選ぶか…ってことだから。その難しさを思えば、“命の尊厳”とは、当人以外どうする事もできない部分と、当人では無理な部分があって、そこの線引きが明確じゃないからこそ、様々な意見がある訳で、一概には言えないってトコだよね。


シ:今回は競走馬の事故につきものの“安楽死”に関する話題を取り上げましたら、いかがだったでしょうか?
栗:話の流れで説明しきれてないけど、骨折といっても、40年ほど前なら剥離骨折でもあり得たけど、今の獣医学では、自立・自力歩行が可能であれば、ボルト固定等の外科処置で完治するケースもあって、簡単に安楽死処分となる事はないだお。でも、加齢による疲労骨折や、治療箇所の再骨折等、治療が困難、且つ、体力的に無理と判断されると、蹄葉炎を併発して余計に苦しむ事になることから、“馬の尊厳”を守るためにも安楽死処分は避けられないだお。
ワ:人間でも昨今では“尊厳死”という、終末医療において機械による延命を処置を断り、医師立ち会いの下による安楽死の選択を取るケースがあります。あくまで“医療行為”としての話であり、人生を悲観しての自殺とは、完全に別の話です。また、交通事故で一命を取り留めたとしても、頭蓋骨陥没骨折等に伴う脳挫傷で致命的ダメージがあった場合、いずれにせよ“辛い決断”を迫られる事になります。
シ:いずれのケースでも、遺される者は、その喪失感と、事情を知らぬ他人からの批判は、避けて通れないかもしれませんが、もし“自分自身”が、その立場になった時、今回の話を思い出してください…今回はこの辺で失礼します。

競馬とメディア

今でこそナイター開催や、ネットによる馬券発売で、経営黒字化が顕著になってる地方競馬だが、今から20年前は、それこそ多くの地方競馬が経営改善ができずに、相次いで廃止に追い込まれた…中には、行政そのものが公営競技の開催意義を履き違え、ただ単純に“公序良俗”と“品行方正”という錦の旗を振りかざして廃止に追い込む方向で、経営改善を放棄した事案もあるほどで、惨憺たる状況が続いた。そんな中で、あれこれとメディア戦略を練り、なんとかして生き残りに躍起だったのが南関4場…特に大井と川崎であった訳で、現在でもTCKは、事ある毎に競馬場施設や騎手、果ては所属競走馬まで引っ張り出して、バラエティー特番の盛り上げに一役買う活動をやっている。


そもそも、競馬に限らず国や自治体が主催する公営競技は、その主たる開催目的は、税収の補填である…ただ、あくまでそれは、刑法にある“富くじ・賭博の禁止”という規定に対しての“例外事案”としての話であり、競馬法の規定で、競馬の開催の主旨は、畜産農家の保護と牧場経営の助成である。特に、家畜伝染病の防疫は、時として牧場経営をやめざる得なくなる程の経営損害を受ける…その経営再建や、対策のための費用を助成するために、農林水産省が運営を許可してるのがJRAであり、中央競馬の開催主旨に則して、家畜馬の飼育・活用を取り組む事業所に対して、厩舎整備や飼料購入の助成金を支給してる訳である。

地方競馬も、基本的には主催自治体の税収補填であり、本来は戦災復興に関しての都市整備費用捻出と、生活保護を必要とする貧困家庭の支援費用である…都市部や観光地の競馬場は、それこそ来訪者や労働階級の娯楽という側面もある訳だが、辺鄙な田舎(と言うと語弊があるが…)の競馬場は、それこそ、労働者…特に坑夫や捕鯨漁師の就労ストレスを発散させる場としての役目があって、高度成長期の頃は、それこそ何のメディア戦略なしでも活況だった訳である。これが一変するのが、いわゆるオイルショックと言われる“資源不況”である。


今ほどではないと言えど、今から46年前…アラブ諸国が加盟するOPEC(石油輸出機構)が、アメリカの大手石油会社の横暴な要求に対抗すべく、産油量の制限と価格を吊り上げた事によって、石炭から石油へ移行していた日本がモロに影響を受け、多くの業種で“省エネのため”という口実で操業制限を受けた訳で、これをきっかけに関西圏では、火力から原子力発電主体の電力供給にシフトしたとも言われてる。

話が逸れたんで元に戻すと、この不況とプラスして、世界中から捕鯨に関する批判(乱獲の疑い)が相次いで、南極海洋での商業捕鯨が事実上潰された事で、捕鯨基地だった高知や、炭鉱の城下町にほど近い中津や荒尾、岩見沢、北見等の地方競馬は、軒並み赤字運営に陥った。この中で唯一生き残った高知競馬は、多くの競馬関係者とファンの危機感が下支えとなり、また、話題作りに躍起になってたトコに、ひょんな格好で“救世主”が現れた事で、全国メディアから取材が来て、さらにネット環境を味方につけた事で、息を吹き返した好例なのだが、他の廃止に至った競馬場は、多くの場合、その時代の流れに乗る前に体力尽きて消えた…その多くが、メディア対応が貧弱で、むしろ地元住民が“公営競技イラネ”で傾いた事で、全廃したと言っていい…ただ、その反動でどうなってるかは、御察しの通りだ。


メディアの報じ方は、時として公営競技を生かすも殺すも自在であり、エンドユーザー(=消費者)に対しての訴え方、情報提供のあり方一つで存廃問題はいつでも起きる。しかし、大概の場合は一方的な意見による感情的なモノであって、冷静に判断したら、大した問題ではない事をm、さも大事の様に騒いでる者達に踊らされた結果の悲劇でしかない。だが、一番肝心な事は、事の本質を理解した上で、様々な意見に“乗るか反るか”である…ここに、命運を分ける“大博打”が存在するのに、ギャンブル全般を嫌う人は、駅前のパチ屋や商店街の雀荘よりも、公営競技廃絶を訴える。このダブルスタンダードに対し、競馬中継に携わる関係者の多くが、同じ放送局の別部門(特に報道)に何度イビられたやら…また、バラエティー系番組の制作現場は、様々なタレントが公営競技を楽しんでる様を目の当たりにしてることもあって、是非とも参加して欲しいと競馬関係者に声をかけて、いざ番組制作開始…となった途端、編成からのクレーム(半分は報道局社員からの嫌がらせ)で、頓挫する事の方が多かった。中央競馬の場合でもこういう状況が長年続いた事を踏まえると、地方競馬が苦労しても報われないまま潰されていった背景は、自ずと理解できるであろう。



馬ではハイセイコーオグリキャップという、トップスター候補となった存在を輩出したといっても、地域のみならともかく、全国に競馬場の存在と名前が売れるには、中央競馬で結果を残さないとメディアが取り上げない訳で、ハルウララよりもウズシオタローの方が遥かに偉業だったのに、益田競馬場が廃止になったのは、中央へ向けた活躍馬がいなかったことや、元よりアラブ専門の競馬場だった事が仇となった部分があり、そして主催者である自治体自体の“財政難”そのものがトドメを刺した…改善策があっても、そこにかかる負担が大きいと、累積赤字を理由に却下されるのは目に見えてる上に、メディアが行政の“不都合な部分”を一切報じずに責任を公営競技の開催そのものに押し付ければ、世論が廃止を求めるのは自然の流れである。




だからこそ、地方競馬のこれ以上の廃止を食い止めるためにも、関係者は躍起になってる訳であり、ネット媒体などを通じて、様々な情報を発信するプラットフォームを利用して、売上アップを図ってるのである。その一環として、競馬場公認のゆるキャラが登場したり、バラエティー特番で施設の一部をレンタルしたり、様々なジャンルのコラボが行われる様になったのである。ただ…ちょっとやり過ぎなモノが昨今、目立つ様になってしまったのは如何なモノかと頭抱えることもある様だが…w



ウオッカ…

エイプリールフールだと思いたいニュースが、桜花賞を前にして飛び込んできた…アイルランドで繋養されていたウオッカが、蹄葉炎安楽死処分された。種付けのために英国ニューマーケットへ赴いた時、スタッフが歩様の異常に気付き、病院で検査したところ右後肢第3指骨の粉砕骨折か認められ、緊急手術を受けたものの、両後肢に蹄葉炎を発症したため、予後不良という診断となった。経緯を見て“それなんてテンポイント?”ってなったのは、オイラがBBAだからか。

今更、ウオッカがどんな競走成績だったとか、“ウマ娘”での描かれ方がどうのと、オイラが説明する必要もないだろうし、ググればいくらでも資料が出てくるんでここでは割愛するが、オイラがウオッカと最接近したのが、今から10年前の日本ダービ公開調教に当たって、栗東トレセンに行った時…当然だが安田記念の1週前追い切りの日でもあるから、見学中に出会う確率は、ある意味ワンチャンあった訳で、他の見学者も、それとなしに気にはしていた。そんなこんなで施設見学で移動中、坂路コースの計測タワーへ向かってると、コース入口付近で準備運動をやってるトコに遭遇したのである。鞍上の調教助手が気を利かせ、見学者に声をかけると、しきりにカメラ目線でポーズをとる、気さくな対応に、愛くるしさを感じました。“ウマ娘”風に例えると、それはまるで、ファンの声に応えて笑顔で手を振る、とても乙女な姿でした。

12年前の日本ダービーは、菫華の君が最後に見たダービーであり、それが64年振りの大偉業であり、平成の競馬史において、牝馬三冠は秋華賞創設から数えて4頭いても、牡馬クラシック戦線で紅一点のダービー馬は、一部ファンから“府中専用機”という批判あれど、たった一頭…この事実は覆らない真実にして、もう逢えない存在となってしまった。幸い、後継繁殖牝馬が2頭いるとはいえ、、今年もフランケル産駒を無事に出産して、今シーズンを迎えた矢先の悲劇。同期のダイワスカーレットとの“産駒対決”は、この先、もう望むことは不可能となってしまった…

話は逸れるが、“テンポイントの悲劇”を知らない世代にざっくりと説明すると、1978年1月の京都競馬場日経新春杯に常識外れなハンデ、66.5kgの斤量を背負って出走したテンポイントがレース中に故障し、当時の獣医師判断からしてその場での安楽死処分が望ましいという診断結果に対し、馬主が僅かな望み…血統的な後継馬生産を叶えるために、どうにか治療して欲しいと願い、大手術を行ったものの、その42日後、蹄葉炎で自立不可となって息を引き取った。この出来事は、後に杉本アナが“FNS系競馬実況の神”となるきっかけとして語られる事となり、また、骨折を伴う故障馬の外科治療に関する研究データとして、今日の競走馬の治療方法の基礎を築き上げる事となる。ウオッカの治療に関しても、恐らくはこの時のデータに基づいて発展させた骨折治療を行なったと思われる。ただ…テンポイントもそうなんだが、馬も含めた四肢で全体重を支える動物にとって、複雑(粉砕)骨折は、予後が思わしくないケースが殆どで、当然だが、痛めた脚を庇うあまりに反対側の脚に悪影響が出るのは時間の問題であり、それを避けるために飼い葉の量が減ることもあって、それゆえに悪循環に陥る訳であり、その苦しむ様が見苦しい…というより、末期癌患者で延命措置であちこちチューブだらけで、見てるだけでもこっちまで辛くなる姿と、ほぼ同じ状態になる。だからこそ、競走馬に限らず、すべての家畜において、“これ以上苦しまない答え”として、安楽死処分を決断するのであって、生産過剰からの“殺処分”とは、全く意味も想いも違う…どうしようもないから、最後にやってあげられる最善策として、とにかく“安らかに、ゆっくり休んでくれ”という思いからの措置だ。そこを一緒くたにしてゴチャゴチャ言うのは、いかなる命の尊厳をも侮辱する行為だ。

ただ…彼女とまた巡り合うのは、おそらく自分自身が人生のゴールラインを過ぎて、虹の彼方にある、広大な芝コースがある競馬場だと思う。そこには、テンポイントも、ライスシャワーも、テスコガビーサンエイサンキューも、あの時代駆け抜けた名馬たちが、世代を超えて集って走ってると信じてる。だから、今は“さよなら”より“また逢おう”と言って、虹の彼方へ送りだそう…いつか、再び競馬場で逢える事を夢見て。南無妙法蓮華経